出張で関東方面に出かけた帰路、上信道から降りて碓氷峠を訪れました。時間がなかったため、国道18号旧道沿いの有名な「めがね橋」を少し散策するだけでしたが、旧中山道の宿場町、明治の鉄道遺構などに触れて感銘を受けました。
1:碓氷第三橋梁(うすいだいさんきょうりょう)。
愛称は「めがね橋」です。鉄道ファンに多くにとっては"聖地"だそうですが、近代史や建築史に興味がある人にとっても非常に有名な巨大煉瓦橋です。
碓氷第三橋梁は、日本国内で製造された200万個以上の煉瓦を使用し、日本国内最大の煉瓦造の4連アーチ橋です。1892(明治25)年竣工、長さ91.1m、川底からの高さ31.4m。鉄道記念物。1993(平成5)年、この第三橋梁も含め同区間に多数現存する遺構群は「碓氷峠鉄道施設」として国指定重要文化財にも指定されました。
2:同じく、第三橋梁(めがね橋)。
信越本線の高崎-横川間は1885(明治18)年、軽井沢-直江津間は1888(明治21)年に開業しました。しかし、その間の区間である横川-軽井沢間は国内屈指の急勾配で、路線ならびに運転方法の決定に紆余曲折がありました。結局、同区間をほぼ最短距離の11.2、最急勾配1000分の66.7〜68(1000mで約67m登る)のルート、当時ヨーロッパで実用化間もないアブト式(レールの間に敷いた歯型レールに特殊機関車の歯車を噛み合わせて登下坂する方法の一種)が採用されました。
3:同じく、第三橋梁(めがね橋)。極めて多数の犠牲者(一説には500人以上の死者)をうんだ難工事(当時の技術力では驚異的に短い約2年間での突貫工事・・・まさしく人海戦術)の末、1893(明治26)年にこの区間が開業しました。区間の特殊性から碓氷線とも呼ばれたそうです。
我が国の近代化初期で、鉄道も多くを欧米からの輸入技術に頼らざるを得ない頃、国家予算も逼迫している中で、関東方面と信州〜日本海側を結ぶ国策路線でした。
4:同じく、第三橋梁(めがね橋)。案内板。
その後、同区間の輸送力が限界に達したこと、我が国の鉄道技術が進歩したことなどにより、アブト式による同区間(アブト式旧線)は1963(昭和38)は廃止されました。同時に同区間にほぼ重なるルートで新線が建設され切り替えられましたが、北陸新幹線(長野新幹線)の開業により1997(平成9)に新線区間も廃止されました。これにより、在来線の信越本線は、横川-軽井沢間が分断されていた明治20年頃の形態に戻りました。
5:同じく、第三橋梁(めがね橋)。案内板。
北陸新幹線(長野新幹線)開業による碓氷線廃止後、線路跡が遊歩道「アプトの道」として横川-碓氷第三橋梁間が整備公開されました。その後、2012年3月、この碓氷第三橋梁から軽井沢寄りの旧熊ノ平信号場(アブト旧線時代は熊ノ平駅)までの整備工事が完了し、公開されました。同時に周辺の駐車場も整備されました。
6:同じく、第三橋梁(めがね橋)。
国道18号旧道から見えない側です。道路から見える側には強度とは関係があまりないような装飾状の意匠があるように感じました。
7:同じく、第三橋梁(めがね橋)。
旧道から第三橋梁の下をくぐり、渓谷沿いに少し入った地点から。なお、この渓谷をもう少し入った場所に廃止された新線のコンクリート製アーチ橋が上下線2基保存されているそうですが、木々が繁茂していて、旧道やこのあたりからはあまり良く見えませんでした。
8:第三橋梁(めがね橋)が横断する碓氷川(うすいがわ)の案内板。
碓氷川(うすいがわ)は、群馬県を流れる利根川水系の一級河川です。延長は37.6で、高崎市内で烏川(からすがわ)に、さらにその下流で利根川に合流します。碓氷第三橋梁は碓氷川の源流近くにかかっています。案内板にあるように、渓流釣りでも知られています。
9:同じく、第三橋梁(めがね橋)。橋上より麓の横川方向を見る。右下に国道18号線旧道。現在は横川駅-熊ノ平間の旧線遺構区間(一部区間は新線上り線)6.1が「アプトの道」という観光客用遊歩道として無料公開されています。なお、熊ノ平から軽井沢までの区間にも遺構が複数点在(その中には三番目の規模を誇る碓氷第13橋梁も残存)していますが、現時点では整備公開の計画は未定のようです。
10:同じく、第三橋梁(めがね橋)。橋上から、横川ならびに妙義山方向を望む。紅葉の季節には素晴らしい景色を一望できるでしょう。
なお、レールがほぼ残っている碓氷線・新線跡を使って、横川-温浴施設「峠の湯」間にトロッコ列車を季節運行しており、鉄道ファンだけでなく多くの観光客の人気を博し続けています。また、横川-軽井沢間の碓氷線全区間を観光鉄道などの形で復活させようとする構想もあったようですが、具体化の話は現時点では凍結となっているそうです。富岡製糸場と併せて碓氷線なども世界遺産登録を目指す動きもあるそうです。
11:同じく、第三橋梁(めがね橋)。橋上より見下ろした国道18号線旧道。
碓氷線は有名な「鉄道唱歌」の第4集北陸編で次のように歌われているそうです。"これより音にききいたる 碓氷峠のアブト式 歯車つけておりのぼる
仕掛は外にたぐいなし"、"くぐるトンネル二十六 ともし火うすく昼くらし いずれは天地うちはれて 顔ふく風の心地よさ"。また、長野県歌「信濃の国」で、"吾妻はやとし
日本武(やまとたけ) 嘆き給いし碓氷山 穿(うが)つ隧道(トンネル)二十六 夢にもこゆる汽車の道 みち一筋に学びなば 昔の人にや劣るべき 古来山河の秀でたる
国は偉人のある習い"と歌われているそうです。これも有名な童謡「もみじ」のモデル(碓氷線の熊ノ平駅から紅葉を眺めて、渓谷の見事な美しさ感動して作詞したという説)とも言われます。
12:同じく、第三橋梁(めがね橋)。遊歩道の案内板。
当時の煙の煤や油染みと微かな匂いが橋やトンネル内の煉瓦壁に残っていて、何か心に響くものを感じました。明治から昭和の激動の時代の記憶、先人たちの汗と強い思い・・・。普通の観光地とは異なる何か厳粛なものを感じたのは私だけでしょうか。夕刻以降の薄暗いもしくは闇、あるいはこの地では珍しくない濃霧の日に、峠に一人で立つと何かと出会いそうな。今はなき列車の音なのか、当時の(そして事故で亡くなった大勢の)鉄道員の声なのか、さらには時代を遡って、並行する旧中山道の峠道を歩く旅人の足音なのか・・・。
13:第三橋梁(めがね橋)に隣接するトンネル。
碓氷第六隧道(うすいだいろくずいどう)。碓氷線のアブト式旧線跡遺構に残るトンネルです。碓氷第三橋梁の軽井沢寄りにあります。この先もトンネル内が遊歩道として整備され、照明もあります。距離的には短いのですが、急勾配で足腰には結構こたえるようです。この先の熊ノ平まで歩く時間と体力に自信がなかったので、少しだけ覗いてみました。蒸気機関車が喘ぎながら峠を上り降りし、さらには我が国最初の電化区間の一つとして専用の電気機関車がアブト式の歯車の音を響かせながらゆっくり通過・・・。そのような幻想に一瞬とらわれてしまいました。