今回は、ルドヴィート・カンタ氏と共に宮城県を訪問しました。
「音の炊き出し」
当社として、私個人として、東北復興のために何か出来ないか、という思いを震災直後よりずっと持ち続けてきました。そして、辿り着いた結論が、本物の音楽で被災者の方たちの心を少しでも癒せないだろうかというものでした。長年に渡り懇意にしていただいているルドヴィート・カンタ氏に相談をもちかけてみたところ快く賛同していただき、また、ある人に現地コーディネータもご紹介いただけることになって、とんとん拍子で今回企画が実現しました。
今回は「音の炊き出し」と題して、2011年5月27日に東松島市の小野市民センターおよび七ヶ浜国際村、翌28日に女川第二小学校と石巻中学校を訪問させていただくことにしました。内容は、今回の訪問先共通で30分程度のミニコンサートとしました。曲目は、バッハの無伴奏「サラバンド」、「熊蜂の飛行」、「夢のあとに」。さらに唱歌「故郷」や、訪問地の校歌など。
私は列車(大宮で東北新幹線へ乗り継ぎ)で現地へ向かいました。カンタ氏はご家族(奥さんと娘さん)を連れて車で先行しており、宿泊先の仙台で落ち合う段取りです。福島あたりから、車窓に損壊家屋を覆うブルーシートが目立ち始め、被災地域に入っているという緊張感が高まりました(もちろん、茨城県や千葉県など関東地区でも大きな被害が出てることは承知しています)。相当の被害があった仙台駅および駅周辺では、外観上の傷跡はあまり感じられず、復旧が相当進んだ印象。私達が訪問した頃は宿泊先手配が非常に大変でしたが、仙台駅前のAPAホテルにようやく部屋を確保できました。救援復旧関係者やボランティアで、どこの宿泊施設も満員に近いそうです。夕食で利用した飲食店の人によれば、震災3ヶ月がたとうとしている今も仙台ですら客足の落ち込みがひどいそうです。また、店関係者の多くが被災者なのですが、被災地により復旧や被災者救援状況に大きな格差が生じているとのこと。
27日の昼頃に仙台を出発し、車で東松島市へ向かいました。
東松島市の小野市民センター
挨拶をするカンタ氏。午後2時すぎより、同センターの体育館で演奏を行いました。
ここでは、6月7日現在で170人の方々が避難生活をしておられるそうです。
演奏中のカンタ氏。
カンタ氏の演奏を聴く避難所の皆さん。
娘・花ちゃんと合奏するカンタ氏。
花ちゃんは、石川県ジュニアオーケストラの団員です。
カンタ氏の演奏を聴く避難所の皆さん。
カンタ氏の演奏を聴く避難所の皆さん。
手前左側の人は、小野市民センター所長の大友氏です。
小野市民センターの玄関にて。左から現地NPOの黄本氏、私、カンタ氏の奥さん、娘の花さん、カンタ氏、所長の大友氏、現地の空手指導者氏、避難所の小学生。
現地NPOの黄本氏には、今回企画の現地コーディネータを務めていただき、大変お世話になりました。なお、黄本氏は、今回訪問先の一つである石巻中学校の卒業生だそうです。
ちなみにカンタ氏親子は極真空手を習っていて、この日偶然出合った空手指導者氏と意気投合したようです。
小野市民センター前の東松島市民憲章碑
「わたしたちは、縄文の古から海と大地の恵にはぐくまれた豊かなくらしと文化を築き上げた先人の知恵を大切にし、市民の心つどう東松島市をめざして、この憲章を定めます。・・・(中略)・・・心を合わせ 支え合い 夢あふれるまちにしましょう」とあります。今回震災では、豊かだったはずの大地が自然が、人間を打ちのめしました。しかし、人間は必ず立ち直り、支え合いながら新たな知恵を紡いでいくに違いありません。
東松島市の被災状況(2011年6月8日現在、宮城県発表)
死者1,039人・行方不明163人。
避難者は市内42個所に2,023人
家屋全壊4,791戸、半壊・破損5,442戸、床上床下浸水多数。
市面積の約81%が津波により浸水。