今回は、ルドヴィート・カンタ氏と共に宮城県を訪問しました。
日和山(ひよりやま、標高56.4メートル)より石巻市街を展望。
カンタ氏が一言、「言葉にならない・・・」。大変な衝撃をうけられたようです。私も撮影するうちに、足が震えてくるのを感じました。
日和山より石巻市街を展望。
同じく日和山より。日和山は400本の桜がある、東北屈指の桜の名所だそうです。今年の満開の桜は、石巻の惨状に何を感じたでしょうか。
同じく日和山より。
市街地からの凄まじい臭気が、日和山の山頂にまで届いています。
宮城県内で人口第二位の都市である石巻市は、全国有数の水産加工拠点です。震災により、水産加工会社の冷凍冷蔵倉庫が壊滅してしまい、膨大な量の海産物や製品が腐敗してしまったそうです。莫大な量の瓦礫もあいまって、腐敗物処理に時間がかかっているとのこと。
石巻中学校の体育館で演奏中のカンタ氏親子。
ご覧の通り、避難所となっている体育館の状況には非常に厳しいものがあります。この状況を見てなお、被災者の方たちに「頑張れ」と言える人がいればお目にかかりたいものです。
生き残った彼らに彼女らに、これ以上何を頑張れと言うのでしょうか。
これから頑張るべきなのは、被災しなかった私達ではないでしょうか。
カンタ氏の演奏を聴く皆さん。
避難者の皆さんは、カンタ氏の演奏に最初は戸惑っておられたようです(今回訪問先全てについて、東北入りする前に許可はいただいていましたが・・・)。しかし演奏会の終わりが近づいた頃には、カンタさん親子の伴奏に合わせて石巻中学校の校歌を歌う方もいらっしゃいました。
カンタ氏にとっては演奏しにくい環境と雰囲気だったと思います。しかし、難しいテクニックを露にすることなく、自然体で何でもないように演奏するカンタ氏のプロに徹した姿勢が、厳しい現実に苦しみ続けている被災者の心を少しは癒したのではないかと感じました。
駐日スロヴァキア共和国特命全権大使のドゥラホミール・シュトス氏
カンタ氏の演奏に先立って、スロヴァキア共和国を代表して、避難者の方たちに励ましの言葉を贈られました。避難者一人一人に自ら握手を求められ言葉をかけてまわられる姿に、大使の優しく懐の深いお人柄を感じました。こういう時の姿には、その人の品格と、本当に心がこもっているかどうかが如実に表れるものだとつくづく思いました。
避難所の皆さん一人一人と言葉を交わすドゥラホミール・シュトス大使。※この写真は黄本氏提供。
避難所の皆さんの求めに応じてサインするカンタ氏。※この写真は黄本氏提供。
左から黄本氏、カンタ氏、ドゥラホミール・シュトス大使、私、避難所責任者氏。※この写真は黄本氏提供。
左からカンタ氏親子、ドゥラホミール・シュトス大使。※この写真は黄本氏提供。
石巻市の被災状況(2011年6月8日現在、石巻市発表)
死者3,071人・行方不明2,770人。
避難者は市内94個所の避難所に6,410人。
家屋全壊28,000戸(概数)、半壊・破損、床上床下浸水多数。
市面積の約73%が津波により浸水し、市街地の多くが水没。
大火災も発生。
石巻だけではなく今回訪問した会場共通に感じたことですが。演奏が始まった最初の雰囲気を見て、被災された方たちの気持ちとしては音楽どころの話ではないのだろうなと感じました。しかし、校歌など馴染み深い曲を演奏した後、温かい拍手をいただきました。カンタ氏の誠実な人柄が東北の人達には身近に映ったのか、演奏終了後に多くの人がカンタ氏にサインを求めていた光景が印象深いです。有名なテレビタレントや歌手ではない、初訪問の外国人チェロ奏者に、クラシック音楽にはあまり馴染みがなさそうな人たちもが声をかけてきたわけですから。
最後に・・・。
「音の炊き出し」と題して、少しでも被災者の方たちの心に寄り添い励ますことができればという思いで被災地を訪問しました。現地に行かなければ見えないもの理解できないものが、たくさんあるのだということを実感しました。私の人生の中で絶対に忘れることのできない旅になりました。近いうちに、「音の炊き出し」第二弾も是非実現したいと考えています。