2007年9月、恒例の社員旅行でシンガポールに行ってきました。昨年同様、今回も三泊四日の駆け足旅行でした。
シンガポール共和国は小さな都市国家ですが、古くから貿易港・要衝として栄えるとともにイギリス・日本による植民地化の複雑な歴史を経て、現在は東アジアの経済的中心地の一つとなっています。人口約430万人のうち75.6%が華人(移住先の国籍を取得した中国系。国籍未取得の場合は「華僑」と呼ばれる)ですが、公用語が英語・北京語・マレー語・タミル語と4つもある多民族国家でもあります。
今回の旅行では、複雑な歴史と数々の矛盾を抱えながらも世界経済と正面きって向き合い、グローバル化の時代で生き残ろうとしているシンガポールの姿を感じ取ることができました。
シンガポールが港町「トゥマシク」として歴史に登場するのは14世紀頃とされています。15世紀初頭に「シンガプーラ」(ライオンの村)という名称になりました。19世紀になるとシンガポールが東南アジア交易の要衝であることに目をつけたイギリスが1819年にシンガポール港を築き、1826年に植民地にしてしまいました。
太平洋戦争が始まると日本軍による攻撃を受けイギリス軍は短期間で降伏(1942年2月7日戦闘開始、同2月15日イギリス軍降伏)。その後は日本軍による軍政下に入り「昭南島」と改名。
1945年、日本の敗戦によりイギリスの植民地支配が復活。1959年にイギリスの自治領となり1963年にマレーシアに編入されました。しかし、マレー人と華人との民族対立が激化し、1965年に都市国家として分離独立しました。イギリス連邦に所属。
支配権を握った「人民行動党」は通商国家を目指し「マラヤ共産党」と対立。人民行動党は共産党と闘うために独裁体制に移行し、共産党を打倒。積極的な経済開発の一方、教育面・治安維持面・マナー面等で非常に厳しい管理社会を構築。その結果、アジア有数の経済発展を遂げました。1998年には一人当たりGDPが3.3万ドルを突破。東南アジア諸国連合(ASEAN)には結成時に加盟。「開発独裁」型経済発展の成功例の一つとされています。なお、現在も人民行動党による一党独裁体制が継続しています。
スリ・マリアマン寺院
シンガポール最古のヒンドゥー教寺院です。
シンガポールの宗教事情ですが、仏教が約40%、イスラム教が約15%、ヒンドゥー教は約7%。ヒンドゥー教は人口の8%を占めるインド系住民が主に信仰しているとか。
大道芸
ラッフルズ卿像
トーマス・ラッフルズ(Sir Thomas Stamford Raffles 1781.7.26-1826.7.5)はイギリスの東インド会社で14歳より働き、ジャワ総督代理、スマトラ総督などを勤めました。1819年にシンガポールを植民地化。植民地建設者以外でも、ボロブドゥール遺跡の発見、世界最大の花「ラフレシア」(彼の名にちなみ命名)発見でも知られているとか。この像は彼の上陸地点とされる場所に立っています。
ラッフルズ卿像が立っているシンガポール川河口にはシティ・ホールをはじめ数多くの建築物があり、シンガポールの政治・経済の中心地です。
マーライオン(MERION)像
フランス語のMER(海)とシンガポールの由来となったライオンを合体させた造語だそうです。ライオンはシンガポールがマレーシア王族により発見されたとする伝説に登場するとか。
左は1972に立てられた本家?マーライオン。右は近くにあるミニマーライオン。
シンガポール植物園
ラッフルズ・ホテル(Raffles Hotel)
シンガポールの最高級ホテルです。1887年に建設されたそうです。植民地時代の特徴を伝えるコロニアル様式の名建築で、国の文化遺産にもなっています。
ラッフルズ・ホテルのロビー。カーペットや調度品は創業当時のもの。