上杉鷹山(うえすぎ ようざん)の像
1751(宝暦元)年9月9日生、1822(文政5)年3月11日没。江戸時代中期の大名。
17歳で米沢藩の第9代藩主になりましたが、当時の米沢藩は財政破綻状態にあり、領地返上寸前に追い込まれていました。傾いた米沢藩を救うため、大検約令による財政改革に着手。 その後、様々な改革を行い、養蚕・絹織物産業などを育成。その大きな功績により、初代上杉謙信と並んで後世に語り継がれています。元服後の名前は治憲(はるのり)ですが、藩主引退後の号である「鷹山」の方が著名です。
九州の小大名家から養子に入った鷹山は、当初、藩重臣達に侮られ、その改革は大きな抵抗を受けました。重臣達の抵抗を克服し、武士と農民が一体となって藩政改革に邁進した結果、米沢藩は豊かな藩に生まれ変わりました。
なお、米国大統領に就任したジョン・F・ケネディが、日本人記者団から日本で最も尊敬する政治家は誰かと質問されて答えたのが鷹山だったというのは有名なエピソードです。
会津若松市
鶴ケ城(会津城)
1384年築城。1868年から始まる戊辰戦争で、会津は旧幕府軍として最後まで抵抗しました。戊辰戦争の後、明治政府の命令によって取り壊されましたが、昭和40年(1960)に天守閣が再建されました。春は1000本を越える桜が咲き誇るそうです。
五色沼
1888(明治21)年7月15日に起きた磐梯山の水蒸気爆発(犠牲者477名)による土石流で多くの川がせき止められ、桧原湖、小野川湖、秋元湖など300を超える湖沼群ができました。その中で酸性度の高い沼は特徴ある様々な色があり、五色沼とよばれます。
米沢市
松岬神社(まつがさきじんじゃ)
(上杉鷹山神社)
境内には鷹山像があります。「成せばなる 成さねばならぬ何事も
成らぬは人のなさぬなりけり」
同上
鷹山神社付近の光景