ストラディブログ
弦の細道
July 8, 2013

石川県-加賀市・"森光子一座"記念館 2013.06.16

山中温泉に開設された"森光子一座"記念館を見学してきました。日本を代表する大女優・森光子氏を偲ぶとともに、氏と山中温泉の親交が厚かったことをあらためて認識できました。

「森光子一座記念館」、入場券。
"森光子一座"記念館は、石川県加賀市の山中温泉に、2013年4月27日オープンしました。
森光子氏は山中温泉の舞台小屋"山中座"の名誉館長を依頼されて務めておられたなど、山中温泉と親交が厚く、その縁でこの記念館が設立されることになりました。

「森光子一座記念館」の様子。
記念館がある建物の入口です。同館は、加賀山中温泉産業株式会社などがある建物内に設置されています。
記念館を"森光子一座"としたのは、氏と親交が深かった元総理大臣・森喜朗氏(1937-、もり・よしろう)の「森光子さんを偲ぶ人たちがこの場所に集まって頂ける様に、森光子さんを中心とした一座をここに催す気持ちで名称を"森光子一座"としてはどうか」というご発案によるものだそうです。森喜朗氏には、この"森光子一座"の名誉座長に就任していただいているとのこと。

同じく、「森光子一座記念館」の様子。「放浪記」の舞台小道具や衣装が展示されています。森光子氏(1920-2012、もり・みつこ。本名:村上美津(むらかみ・みつ)
森光子氏を、日本人なら知らぬ人はいないでしょう。日本を代表する大女優の一人であり、ご高齢を全く感じさせない若々しさで亡くなる少し前まで芸能活動を続けました。
1920年、京都市生まれ。森光子氏は、その長い芸能人生で、数々の名作品の主役や重要な役を務めましたが、中でも舞台「放浪記」での主演が代表作としてあげられます。1961年に初演された「放浪記」で、人生初の主演を務めあげ高く評価されました。それを機に、さらに活躍範囲が広がり、日本人の誰もが知るスターになりました。「放浪記」は、森光子氏の代表作の一つともなり、以後、日本芸能史に残る上演回数を重ねることになりました。

同じく、「森光子一座記念館」の様子。
長年に渡る輝かしい芸能活動が認められ、1984年に紫綬褒章を授与されました。1992年に勲三等瑞宝章。1999年に京都市特別観光大使、2009年に京都市民栄誉賞、2011年に京都市名誉観光大使。2009年、俳優としては日本初の生前授与となる、国民栄誉賞を授与されました。
「放浪記」では、2009年5月29日の第2017回公演での主演を最後に、体調を崩し舞台を休演。2010年秋頃より、さらに体調が思わしくなくなり入退院を繰り返しましたが、復帰の意欲を亡くなる直前まで捨てませんした。2011年に入院、2012年2月頃には衰弱が進み、そのまま最期は眠るように亡くなりました。2012年11月10日、92歳でした。
意識がある時に病室で遺した言葉は、「みなさん、一生懸命される仕事を生きてね」だったとされています。

同じく、「森光子一座記念館」の様子。
「放浪記」の原作は、小説家の林芙美子氏(1903-1951、はやし・ふみこ)。脚本・演出は、劇作家・菊田一夫氏(1908-1973、きくた・かずお。本名:菊田数夫)。菊田氏の死後、三木のり平氏(1924-1999、みき・のりへい。本名:田沼則子(たぬま・ただし)が脚本潤色と演出を手掛けました。

同じく、「森光子一座記念館」の様子。
楽屋を再現したコーナー。「放浪記」の森光子氏の楽屋を再現しています。森光子氏の楽屋のれんも展示されています。

同じく、「森光子一座記念館」の様子。

同じく、「森光子一座記念館」の様子。
他にも国民栄誉賞の盾や文化勲章が展示されています。その役者人生や山中温泉での姿などを映像にまとめた「森光子
輝かしきロングラン」も上映されています。

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