2010年1月下旬(日本時間で1月16日出国〜25日帰国)、商用でフランスのパリとミルクールを訪問してきました。北半球の大寒波、ヨーロッパも記録的な寒さと雪でしたが、私達が訪問した時は寒波のピークは終わっていて順調に旅行することができました。訪問の主目的は楽器の買付けですが、今回は日程を多目に確保し、前からとても興味があったミルクールやパリの現代作家を訪問取材してきました。なお、今回旅行の取材では、現地コーディネートならびに仏語通訳でJCOM(ジーコム)の浜さんのお世話になりました。この場を借りて厚くお礼申し上げます。
Collection archives Lutherie DIDIER
ミルクール現地で頂いた書籍・パンフレットより、19世紀後半から20世紀前半の大量生産時代の様子を撮影した写真をご紹介します。Maison Laberte-Humbert(Maison Laberte)の工場の様子。※本ページへの写真転載について、ミルクール市立弦楽器製作博物館ならびに書籍の著者・Jacques Didier氏より事前許可を得ています。
※本ページに掲載している写真の無断転載・複写・配布は私的利用も含め禁止させていただきます。
Collection archives Lutherie DIDIERMaison Laberte-Humbert(Maison Laberte)は、1780年に設立されたMirecourtの老舗弦楽器製作メーカでした。Marc Laberteが率いていた1930年頃には従業員数が500人に達し、Mirecourtの代表的大手メーカになっていました。しかし、Mirecourtの弦楽器産業は衰退期に入っており、Maison LaberteはMirecourtの大手メーカで最後の生き残りともなっていました。Marc Laberteの死後間もない1968年、息子Philippe Laberte (1906-1969)の代で、東欧圏等の製品に押される形で廃業してしまいました。
Collection archives Lutherie DIDIERMarc Laberte (1880-1963)
老舗Maison Laberteの事実上最後の経営者。1880年、Mirecourtに生まれ、その地で楽器製作者として活躍しました。Stradivariをはじめとする数多くの名器を収集所有し、それらの優れたコピーを製作したことで有名になり大きな成功をおさめました。第一次世界大戦後、彼の工房は生き残りのため営利をより重視するようになりましたが、1920年代以降の製品は美しく仕上げられています。また弓の中にも、一流のフレンチ弓に遜色のない優れたものがあると評価されています。
Collection archives Lutherie DIDIER作業工程毎で分業化される一方、優秀でやる気のある人間ならば自分の技量を磨き次のステップへ進むこともできたようです。、
Collection archives Lutherie DIDIER完成品や仕掛品の在庫光景。
Collection archives Lutherie DIDIER大量生産時代のミルクールでは、大勢の婦人や子供が弦楽器製造工場で働いていました。
Collection archives Lutherie DIDIER原材料の木材が大量に貯蔵されています。
Collection archives Lutherie DIDIER完成品の在庫棚。
Coll. Musee de la lutherie a Mirecourt木材の切削用機械。ミルクールの生産体制は基本的には家内手工業のやり方を人海戦術で拡大したものだったようですが、工作機械も導入されていました。
Collection archives Lutherie DIDIERJerome Thibouville Lamyのミルクール工場全景イラスト。Jerome Thibouville Lamy(1833-c1905、ジェローム・チボヴィーユ・ラミー)は製作者というよりは、楽器工場による大量生産を成功させた経営者の一人として有名です。ミルクールならびにパリで修行。ミルクールにあった様々な工場の経営権を取得し、1865年に会社を立ち上げました。彼は機械を活用した大量生産を行いました。彼の機械製作の楽器は世界各地で評価され、事業は拡大を続けました。
Collection archives Lutherie DIDIERJerome Thibouville Lamy工場の従業員達。10代の少年達の姿も。最盛期には3つの工場があり、Grenelle工場で金管楽器(1880年頃にCトランペット、1905年から4バルブのトランペットを発売)、La Couture工場で木管楽器(息子Martin Thibouvilleによって工場開設。後に父親が工場を経営。クラリネットとオーボエ製造で有名)、ミルクール工場で弦楽器(同地で1890年に職業学校を開校)をそれぞれ大量生産していました。その製品のグレードや品質は各種あり、非常に優れたものもあります。また、工場で働いた職人の中には、独立してハンドメイドの楽器製作者として有名になった人物が少なくありません。しかし、世界恐慌から第二次世界大戦前後の混乱、大量生産楽器での競争力低下などから事業は衰退へ向かいました。金管楽器工場は1961年に閉鎖され、他工場も1968年までに閉鎖。現在、J.T.Lamy(J.T.L)はロンドン(1880年に支店として開設)を拠点に、楽器ケースやアクセサリー等を販売しています。
Collection archives Lutherie DIDIERJerome Thibouville Lamy工場の様子。
Collection archives Lutherie DIDIERJerome Thibouville Lamy工場の様子。
Coll. Musee de la lutherie a Mirecourt1940年の爆撃で破壊されてしまったJerome Thibouville Lamy工場。
Coll. Musee de la lutherie a Mirecourt同じく、爆撃で壊滅的被害を受けたJerome Thibouville Lamy工場の様子。
Manufactures et maitres luthiers a Mirecourt 1919-1969
著者Jacques Didier氏(1939-、ジャック・ディディエ)は1939年、メス(Metz、フランス北東部の都市でロレーヌ州の首府でありモデル県の県庁所在地)で生まれました。彼はメスの音楽学校で学び、パリの楽器店で数年間働いた後、1962年に管楽器の修理を行う工房に参加しました。1983年7月、彼はメスに戻り、自身の工房を開きました。歴史本の出版社WOIPPY社の副社長も務め、この本の後、1914年のロレーヌの闘いに関する本も出しています
なお、彼の息子Bertrand Didier氏は、ミルクールのJean Jacques Pages氏の下で弦楽器製作を学んだ後、Etienne
Vatelot氏の工房で修行しました。
CARTES POSTALES: COLLECTION GABRIELBAZIN工房の従業員達。
10代前後の少年達が混じっています。Maison LaberteやJ.T.LAMYのような大工場には及びませんが、BAZIN工房でも少年を含めた大勢の職人を雇っていたことがわかります。