ストラディブログ
欧羅巴徒然紀行
March 2, 2010

フランス・ミルクール その3・現代ミルクールのマエストロ 2010.01.21-01.24

2010年1月下旬(日本時間で1月16日出国〜25日帰国)、商用でフランスのパリとミルクールを訪問してきました。北半球の大寒波、ヨーロッパも記録的な寒さと雪でしたが、私達が訪問した時は寒波のピークは終わっていて順調に旅行することができました。訪問の主目的は楽器の買付けですが、今回は日程を多目に確保し、前からとても興味があったミルクールやパリの現代作家を訪問取材してきました。なお、今回旅行の取材では、現地コーディネートならびに仏語通訳でJCOM(ジーコム)の浜さんのお世話になりました。この場を借りて厚くお礼申し上げます。

Francois Lotteの写真。※観光案内より転載Francois Lotte(1889-1970、フランシス・ロッテ)
20世紀のミルクールを代表する弓製作者(Archetier・アルシュテール)の一人です。ミルクール生まれ。父Georges Lotteは弦楽器製作者で、J.B.VUILLAUME工房の下請けもしていました。Francois Lotteは、1919年に高名な弓製作者・Emile Auguste Ouchard(1900-1969)の姉と結婚しました。BAZIN工房で修行を重ね、1922年頃からCUNIOT-HURY工房(Eugene Cuniot、1861-1910)の工房で働きました。1925年頃、CUNIOT-HURY工房を出て別の弓製作者と共同経営の工房を開きましたが上手くいかなかったようです。1926年に彼単独の工房をミルクールで開きました。1956年、息子Roger Francois Lotteに工房を譲り、1960年に71歳で引退しました。1970年3月、81歳で亡くなりました。彼は大量に弓を作りましたが、その中には非常に優れた作品もあります。Roger Francois Lotte(1922-1989)
父親の下で修行し、1956年に工房を継承しました。

Francois Lotte工房玄関。20世紀のミルクールを代表する弓製作者(Archetier・アルシュテール)の一人であるFrancois Lotte氏の工房建物の玄関です。

Francois Lotte工房玄関脇のプレート。ミルクールの街には、高名な製作者達の工房建物が多く残っています。それらの建物正面には、かってその建物を使用していた製作者の名前が記されたアクリル製プレートが設置されています。ただし、建物の多くは製作者一族とは無関係あるいは弦楽器製作とは無関係の人が所有・居住しているようです。※他の製作者達の工房建物については、続編「ミルクールその4」でご紹介します。

同じくFrancois Lotte工房玄関脇のプレート。正面左側の金属製プレートには、工房を継承した息子Roger Francois Lotte氏(1922-?)の名前が記されています。

Jean Pierre Voinson(ジャン・ピエール・ヴォアンソン)氏。※工房にて。
Jean Pierre Voinson(1950-、ジャン・ピエール・ヴォアンソン)氏はミルクールを拠点に活躍する弦楽器製作者です。
1975年にミルクールで弦楽器製作を学んだ後、別の工房で働きました。そこで彼は、フランスの伝統的四重奏のための弦楽器製作に熟達しました。1993年、修行で得た豊かな経験を基に、ミルクールのすぐ近くにあるヴィッテル(Vittel)で自身の最初の工房を開きました。1999年からミルクールに工房を構えています。

Jean Pierre Voinson(ジャン・ピエール・ヴォアンソン)氏と。

Voinson(ヴォアンソン)工房の様子。
弟子のアントワンヌ氏が工房製チェロの試奏をしているところです。彼はミルクール国立弦楽器製作学校の卒業生で、チェロ演奏のレッスンも続けているそうです。

Jean Jacques Pages(ジャン・ジャック・パジェス)氏と。※工房にて。
Jean Jacques Pages(ジャン・ジャック・パジェス)氏は、現代ミルクールを代表する弦楽器製作者(Lutheir)の一人です。 1966年より2年間、ミッテンバルトの弦楽器製作学校で学びました。徴兵を待つ間、Etiennne Vatelot工房で1年間修行。 Etiennne Vatelot氏は、ミルクールの製作者Jean Eulry氏に彼を推薦し、そこで2年半修行を続けました。その後パリに戻り、Etiennne Vatelot工房で職人として(ほどなく作業長として)雇われました。7年間、修復に関する必要な知識、弓製作に関する専門知識と音響調整技術を身につけました。偉大な巨匠達の作品に日常的に触れることで、彼は現代の弦楽器製作技術に関する自身の理解を深めました。

同じく、Jean Jacques Pages(ジャン・ジャック・パジェス)氏と。1977年、Jean Jacques Pages(ジャン・ジャック・パジェス)氏はミルクールで自分の工房を開き、自身が作り出す高品質の作品を通じて、フランス弦楽器製造発祥の地で現代弦楽器製造を蘇らせるために活動し始めました。
1981年、彼はミルクール弦楽フェスティバルを創設しました。フェスティバルには毎年、国内外の有名な演奏家達が多数参加しています。主な受賞歴は、1977年のMarcel Vatelot基金賞、1983年の国家職人認証、1984年の芸術・工芸業地域大賞、1989年のミッテンバルト国際コンクールでの栄誉賞、1995年のパリ市・フランスルネッサンス賞、1996年のフランス国家技術教育賞、2000年の「知性を持った手」に対するLiliane Bettencourt賞など、多数あります。

パジェス氏が主宰する弦楽器製作学校の様子。
多くの製作者を育てることも彼の役割になりました。2003年9月、Jean Jacques
Pages(ジャン・ジャック・パジェス)氏は自身が主宰する私立の弦楽器製作学校"ECOLE
INTERNATIONALE DE LUTHERIE D'ART JEAN-JACQUES PAGES" (JEAN-JACQUES
PAGES'S INTERNATIONAL SCHOOL OF LUTHERIE ART)を創立しました。
彼はフランス弦楽器・弓製作者協会(GLLAF)の会員で、1998年から2001年まで同協会の会長を務めました。国際弦楽器・弓製作者同盟(EILA)の会員でもあります。彼は、ヨーロッパやアジア向けに弦楽器を数多く輸出し、文化行事や国内外の展示会でも重要な役割を果たしています。

同じく、パジェス氏が主宰する弦楽器製作学校の様子。ミルクール国立弦楽器製作学校同様、ここの学生達もみな熱心に学んでいます。

同じく、パジェス氏が主宰する弦楽器製作学校の様子。3年制で、学生数は各学年5人前後で、合計で毎年約15人の学生を育てているそうです。

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