2010年1月下旬(日本時間で1月16日出国〜25日帰国)、商用でフランスのパリとミルクールを訪問してきました。北半球の大寒波、ヨーロッパも記録的な寒さと雪でしたが、私達が訪問した時は寒波のピークは終わっていて順調に旅行することができました。訪問の主目的は楽器の買付けですが、今回は日程を多目に確保し、前からとても興味があったミルクールやパリの現代作家を訪問取材してきました。なお、今回旅行の取材では、現地コーディネートならびに仏語通訳でJCOM(ジーコム)の浜さんのお世話になりました。この場を借りて厚くお礼申し上げます。
パリ・エコール・ノルマル音楽院
パリ・エコール・ノルマル音楽院(Ecole Normale de Musique)は、1919年に
著名なピアニスト、アルフレッド・コルトーと、彼のパートナー、オーギュスト・マンジョによって創立された名門音楽学校です。パリの中心部にあり、校舎はフランス政府により歴史的建造物(日本の重要文化財に相当する)に指定されています。
パリ・エコール・ノルマル音楽院の校舎。
Salle Cortot(サル・コルトー)。
エコール・ノルマルの附属コンサートホール「コルトーホール」です。1929年に建築された、アール・デコ様式の建物で、ヨーロッパの音楽ホールの中で最良の音響効果をもつものの一つとして非常に有名です。フランス政府により歴史的建造物(日本の重要文化財に相当する)に指定されています。
同じく、Salle Cortot(サル・コルトー)。
Alfred Denis Cortot(1877-1962、アルフレッド・ドニ・コルトー)
20世紀前半から中盤のフランスを代表する偉大なピアニストです。指揮や教育、研究著述でも優れた業績を残しました。パリ・コンセルヴァトワールでエミール・デコムならびにル・ディエメに師事。デビュー後、演奏家として成功をおさめ賞賛されました。1907年にコンサルヴァトワールの教授になりました。しかし、彼は学校の育成方針に異を唱え、1919年に自らの音楽教育の理想を実現するためにエコールノルマルを設立、コンセルヴァトワール教授を辞めました。第二次世界大戦中のヴィシー政権(ナチスドイツに対して協力したため、連合国側から傀儡政権とされ正当性を否定されている)との関係が非難され、戦後はフランス国内での演奏機会を完全に奪われ晩年に至るまで冷遇されました。
エコール・ノルマル内の一室。
エコール・ノルマル内の一室。
コンセルヴァトワール。
パリ国立高等音楽・舞踏学校(Conservatoire de Paris)の校舎。フランス国立高等音楽院の一つで、音楽・舞踏・音楽音響学・教育者育成のための高等教育機関です。パリ国立高等音楽院とも呼ばれます。1795年に設立された音楽院が起源(さらに遡ると1669年にルイ14世によって設置された王立音楽アカデミー)で、音楽専門の高等教育機関としては世界で最も歴史が古く、伝統と実績には素晴らしいものがあります。世界最高の音楽学校の一つです。現在の校舎は三代目で1990年建造。先代校舎はパリ地方音楽院(CRR
de Paris)の校舎になっています。
コンセルヴァトワール内のピアノ調律・修理室。
特別に見学させていただけました。なお、写っているのは学生ではなく調律・修理スタッフです。
同じく、コンセルヴァトワール内のピアノ調律・修理室。
同じく、コンセルヴァトワール内のピアノ調律・修理室。
コンセルヴァトワールのホール。
コンセルヴァトワールのホールに設置されているパイプオルガン。
オーストリア製で、導入時の価格で約100万ユーロだったそうです。搬入・組立と調整に数ヶ月間を必要としたとのこと。
コンセルヴァトワール内を案内してくれた方。
お名前を聞くのを忘れてしまいましたが、当日見学可能な場所を案内していただきました。現在の学生数は約1200人、毎年200人前後が入学・卒業するそうです。
パイプオルガンの前にて、案内してくれた方と。
パイプオルガンの大きさがわかります。
シテ・ド・ラ・ミュージック(Cite de la Musique)。
パリの音楽博物館で、パルの北東、パーク・ド・ラ・ヴィレット内にある音楽関連施設群の中央にあります。1995年にオープン。17世紀から現代に至る楽器や音楽関連資料が数多く展示されています。