2010年1月下旬(日本時間で1月16日出国〜25日帰国)、商用でフランスのパリとミルクールを訪問してきました。北半球の大寒波、ヨーロッパも記録的な寒さと雪でしたが、私達が訪問した時は寒波のピークは終わっていて順調に旅行することができました。訪問の主目的は楽器の買付けですが、今回は日程を多目に確保し、前からとても興味があったミルクールやパリの現代作家を訪問取材してきました。なお、今回旅行の取材では、現地コーディネートならびに仏語通訳でJCOM(ジーコム)の浜さんのお世話になりました。この場を借りて厚くお礼申し上げます。
Salle Pleyel(サル・プレイエル)。
世界的なピアノメーカー「プレイエル」の専用コンサートホールです。ショールームも併設されています。1830年、プレイエル社の二代目社長カミーユ・プレイエルによって、自社製品の宣伝ならびに演奏家後援を目的としてオープンしました。当時の建物ではショパンをはじめとする偉大なピアニスト達がコンサートを開きました。1924年に現在の場所に移転した後、火災による消失、プレイエル社の経営破綻、他社による買収と紆余曲折があったそうです。1998年に「サル・プレイエル」を買収したユベール・マルティ二氏が、2000年にプレイエル社も買収しました。その結果、1928年以来70年ぶりに「サル・プレイエル」とプレイエル社は一体になりました。その後、改修工事が行われてエントランスや内装が1927年当時に復元され、2006年にリニューアル。2007年にはプレイエル社創業200年記念式典がここで行われました。
Salle Pleyel(サル・プレイエル)の内部。※ホールの見学、写真掲載についてはプレイエル社の許可をいただいています。
※本ページで掲載しているサル・プレイエルの写真について、無断転載・複写・配布は私的利用も含め禁止させていただきます。
同じく、Salle Pleyel(サル・プレイエル)の内部。
同じく、Salle Pleyel(サル・プレイエル)の内部。
Salle Pleyelを案内していていただいたシャルロットさん。ご多忙のところ、ホール内を案内していただきました。彼女はプレイエル社の社員で、日本へは観光旅行で一度来て、京都や奈良を楽しんだそうです。なお、ホール内へ演奏会以外で外部の人間を入れることはあまりないそうです。
パリ・オペラ座、ガルニエ宮(Palais Garnier)。フランス王立オペラの歴史は1669年に始まります。宮廷オペラを作っていた作曲家ロベール・カンベール(Robert Cambert)と詩人ピエール・ペラン(Pierre Perrin)が請願し、時の国王ルイ14世に許可され「音楽アカデミー(Academie Nationale de Musique)」として実現しました。その後、パリの王立・国立オペラ劇団が拠点とする劇場は転々とし、現在のガルニエ宮は13代目です。
新オペラ座・ガルニエ宮の建設が具体化したのはナポレオン世治世時で、1860年のことでした。公募された設計プランの中から、シャルル・ガルニエの案が採択され、1862年に着工されました。
Academie Nationale de Musique(国立音楽アカデミー)。
新オペラ座劇場は1874年12月に工事完了、1875年1月5日に落成式が行われました。この建物は設計者の名にちなんで「ガルニエ宮」と呼ばれることになりました。
外観と内装はネオ・バロック様式の典型とされ、華美な装飾と彫刻がある絢爛豪華なものです。建材に鉄材を多用(当時の最新技法)。これにより従来工法では難しかった巨大空間を実現しました、5層構造の2167席は当時最大でした。なお、ガルニエ宮からパレ・ロワイヤルへ南下するオペラ座大通り(Avenue de l'Opera)も同時に設計・施工されています。
ガルニエ宮の前にて。
ガルニエ宮の内部。
ホール内以外のエントランス等は観光客向けに公開されています。
同じく、ガルニエ宮内部。
同じく、ガルニエ宮内部。
同じく、ガルニエ宮内部。
同じく、ガルニエ宮内部。
同じく、ガルニエ宮内部。
同じく、ガルニエ宮内部。
ホールの桟敷席への入口です。
同じく、ガルニエ宮内部。
過去上演されたオペラの衣装展示スペースです。
同じく、ガルニエ宮内部。
同じく、ガルニエ宮内部。
ホール内へは入ることができませんが、観光客用の見学窓が通路に設けられていてホール内を見ることができるようになっています。※許可を得て撮影。
同じく、ガルニエ宮内部。
ホール内へは入ることができませんが、観光客用の見学窓が通路に設けられていてホール内を見ることができるようになっています。
現在の天井画は、1964年にマルク・シャガールが描いたものです。元の天井画はジュール=ユジェーヌ・ルヌヴ(Jules
Eugene Lenepveu)が描いたもの。ホール内照明に使われていたガス灯の影響で劣化が進行してしまい、その対策として、修復ではなくシャガールによる描き変えが選択されました。これについては現地で賛否両論がいまだにあるそうです。※許可を得て撮影。
ガルニエ宮から見た光景。
街路がガルニエ宮と同時に設計されたため、見事なまでの統一美・構成美です。
同じく、ガルニエ宮から見た光景。
ヨーロッパを訪問する度に感じるのは、徹底的に保存された街並・建物と、現代の広告看板やバス等が違和感なく混じり合っていることです。広告看板にせよバスの塗色にせよ現代アートの先端を行くモダンなものなのですが、それが周辺の古い街並に融け込んでいるて心地よい。景観も含めた都市計画の理念がしっかりしていることがわかります。