お盆休みを利用して、山口県を旅行してきました。近年は西日本方面への商用出張(その合間に短時間の小観光)も増えましたが、今回は珍しく観光だけが目的の旅行。身体にも優しい旅となりました。
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個人を特定できないよう通行人の方達の顔部分を加工してあります。不都合がございましたら、当社にご連絡ください。
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1:"萩を世界遺産に!"の記念撮影用パネル。街角には、萩ゆかりの吉田松陰(1830-1859、よしだ・しょういん)と高杉晋作(1839-1867、たかすぎ・しんさく)の記念撮影用パネルがあります。そこには、世界遺産登録を目指すアピールが。なお、このようなパネルは市内の要所要所にあるようです。
2:松下村塾(しょうかそんじゅく)。1842年に吉田松陰の叔父・玉木文之進(1810-1876、たまき・ぶんのしん)が自宅で私塾を開いたのが始まり。1857年に28歳だった吉田松陰が引き継ぎました。松陰が塾を率いたのは僅か1年余りでしたが、明治維新の原動力となった多くの逸材を育てました。国指定史跡。移築復元されたものではなく、当時からこの場所にあったそうです。
3:萩往還公園内の銅像。萩の城下町と港を結んでいた街道・萩往還は、「歴史の道」として保存整備されています。萩往還公園内には、吉田松陰ゆかりの人物達の銅像群があります。これは、左から山縣有朋(1838-1922、やまがた・ありとも)、木戸孝允(1833-1877、きど・たかよし。「こういん」は有職(ゆうそく)読み。桂小五郎は維新前の名前)、伊藤博文(1841-1909、いとう・ひろぶみ)の群像。
4:秋吉台・秋芳洞(あきよしどう)。黄金中と呼ばれる石灰華柱。
5:同じく、秋芳洞。
傘づくしと呼ばれる鍾乳石。
6:同じく、秋芳洞。
巌窟王と呼ばれる石筍。
7:同じく、秋芳洞。
百枚皿と呼ばれる石灰華段丘。
・・・カメラのレンズが曇ってしまいました。
8:同じく、秋吉台。
入り口付近。
9:秋吉台。日本有数のカルスト台地として、その名を知らない日本人は多分いないでしょう。