ゴールデン期間中、青森を再訪しました。5月2日夜、小松から羽田まで空路で向かい、東京都内で一泊。翌3日朝、東北新幹線で東京から新青森。青森市内でニ泊し、青森市内観光。帰途は東北新幹線-大宮-上越新幹線-越後湯沢-北陸線「はくたか」というルート。
青森観光は今回二回目。前回は東北の夏祭りシーズンでしたが、今回は(当然のことながら)全く異なる雰囲気を味わうことができました。
東京駅。
前日2日、空路で小松から羽田に向かい都内で一泊。今回は久しぶりに余裕のある日程です。東京駅より「はやぶさ5号」に乗って青森へ向かいましました。
「はやぶさ」の車内。
国内最速の時速350キロの列車旅。最新鋭の車両だけに、車内は綺麗で揺れも少なく、とても快適でした。アテンダントの方の接客もスマートで好印象。一度、「はやぶさ」で青森を再訪したいと思っていたので、念願が叶い満足しました。
車窓から目撃した沿線の様子ですが、復興状況が地域によって結構異なるように感じました。気候や時期のせいかも知れませんが・・・。なお、福島や宮城の新幹線沿線では、破損してブルーシートで応急措置を施した家屋はほぼなくなったようです。もちろん、高速で通過する車内から見た限りですが。新幹線沿線から離れると、震災時のまま、ほとんど手付かずの地域もまだ多いのが現実です。
新青森駅。終点の新青森駅ホームにて。本州最北ということもありますが、この季節としては肌寒い感じでした。
子ども達の三味線演奏。
青森港。青い海公園より青森湾を望む。
青森県観光物産館アスパム。青森県の産業・観光物産及び郷土芸能などを総合的に紹介する施設です。
八甲田丸。青函連絡船メモリアルシップ「八甲田丸」。青森側に「八甲田丸」(青森側からの最終運航船)、函館側に「摩周丸」が保存されています。
青函連絡船戦災の碑。八甲田丸の傍にあります。
第二次世界大戦末期、1945年7月14日と8月10日、青森湾では米軍の空襲で青函連絡船の多くが撃沈され、幼児や少年生徒も含む131名が犠牲となりました。函館湾も7月14日と15日に空襲をうけ同湾にいた青函連絡船は全滅し、乗員乗客424名が犠牲となりました。
津軽海峡冬景色・歌謡碑。八甲田丸に並ぶ位置にあります。津軽海峡と青函連絡船と言えばこの曲が思い浮かびます。
同じく津軽海峡冬景色・歌謡碑。
歌手石川さゆり氏の代表曲の一つです。日本に住む人は誰も皆、聴いたことがあるでしょう。
八甲田丸の船尾扉と可動橋。手前の線路(青函連絡船と同じく廃止)は、かって青森駅に繋がっていたものです。この線路は可動橋により青函連絡船の船尾に接続され、列車が船に積み下ろしされました。一方、旅客は歌謡碑がある桟橋の船左舷に接続されたタラップより乗降しました。
青函連絡船メモリアルシップ「八甲田丸」のパンフレット。八甲田丸は、総トン数5,382.65t、全長132m、速力18.2ノット。1964年就航。この八甲田丸と函館側に保存されている摩周丸は経済産業省近代化産業遺産に認定されています。なお、青森側ならびに函館側に保存されている船と可動橋は日本機械学会の機械遺産にも認定されているそうです。一方、船の科学館で展示されていた羊蹄丸は残念ながら2012年に解体されました。他の青函連絡船も海外に売却されたものも含め既に解体されてしまいました。
八甲田丸の内部。「青函ワールド」という展示スペースが設けられ、昭和30年代の青森駅前と行き交う人々の様子が等身大の人形を使って再現されています。
同じく八甲田丸の内部、「青函ワールド」。
待合室の再現ジオラマ。
同じく八甲田丸の内部、「青函ワールド」。
実物大ということもあり、結構リアルです。私達の世代から上にとっては、当時を回想し懐かしさがこみあげてくるでしょう。
同じく八甲田丸の内部、「青函ワールド」。
青森の美味しいリンゴを食べたくなりました。
青函鉄道連絡線記念館。
八甲田丸の内部にある展示コーナです。青函連絡船の歴史などが模型やパネルで紹介されています。青函連絡船や船、鉄道にそれほど興味がない人にとっても勉強になると思います。
同じく八甲田丸の内部。
等身大の人形で再現された待合室。服装、石炭ストーブ、木の長椅子・・・なにもかもが懐かしいです。
同じく八甲田丸の内部。
当時の姿で保存されているグリーン席。当時の特急列車グリーン席に似た構造と雰囲気ですが、列車よりもゆったりしており、なによりも展望がすばらしかったでしょう。ちなみに当時のグリーン席は庶民には恐らく一生縁がないような高料金(特急や急行列車そのものが、庶民は気軽に乗ることができない文字通り特別な列車でしたが)。鉄道最盛期ほどではないにせよ、"上流階級"専用席の名残が残っていました。
同じく八甲田丸の内部。
ブリッジ。ここも当時のまま保存されています。船長と思われる服装の人形が置かれ、雰囲気を再現しています。
同じく八甲田丸の内部。
車両甲板。八甲田丸の最大の見学ポイントの一つです。現在、国内では八甲田丸でしか見ることができないとか。現役時代は4線の線路があり、当時主流的だった貨車ならば48両も積むことができたそうです。
同じく八甲田丸の内部。
車両甲板。現在は、既に引退した車両9両が展示されています。いずれも鉄道ファンならば垂涎ものの有名車両ばかりだとか。
同じく八甲田丸の内部。
車両甲板。これも有名な車両です。
同じく八甲田丸の内部。
昭和30年代を再現する人形達と記念撮影。
青森ベイブリッジ。
青森県青森市の臨港地区を有機的につなぐ道路として1982年から事業開始、1994年に全面供用を開始した全長1219mの橋梁群です。中央の吊橋部分は当時の最新技術が用いられたもので、設計当時は国内最大の"PC斜張橋"だったそうです。
「ねぶたの家 ワ・ラッセ」のパンフレット。
青森市文化観光交流施設。八甲田丸のすぐ近くにあります。
国重要無形民族文化財である青森ねぶた祭の魅力と歴史を紹介し、後世に伝承するための施設です。
「ねぶたの家 ワ・ラッセ」の内部。
同じく、「ねぶたの家 ワ・ラッセ」の内部。
同じく、「ねぶたの家 ワ・ラッセ」の内部。
同じく、「ねぶたの家 ワ・ラッセ」の内部。
手指部分の構造がわかるようになっています。
同じく、「ねぶたの家 ワ・ラッセ」の内部。
全体の枠組み構造がわかるようになっています。
同じく、「ねぶたの家 ワ・ラッセ」の内部。
同じく、「ねぶたの家 ワ・ラッセ」の内部。
前回堪能した「ねぶた祭」の想い出と重ねながら、祭の素晴らしさや歴史を学ぶことができました。