2008年3月4日から12日にかけて商用でアテネとロンドンを訪問しました。今回の訪欧は訪問地こそ少なかったのですが、いつも以上にハードスケジュールで広義の社員研修的要素はほとんどなく連日商談で明け暮れました。
唯一、アテネだけは短時間ではありましたがパルテノン神殿周辺を散策することができました。
Eleftherios Venizelos(エレフセリオス・ヴェニゼロス)国際空港。
アテネ市街地中心部から約27キロメートルに位置します。
エレフセリオス・ヴェニゼロス)国際空港のようす。ルフトハンザなどヨーロッパの航空会社の機体が多いです。
エレフセリオス・ヴェニゼロス)国際空港のようす。オリンピック航空のエアバスA340-300。
現在、オリンピック航空は日本乗り入れをしていないため、日本では普段見ることができない飛行機です。
エレフセリオス・ヴェニゼロス)国際空港のようす。空港内の案内掲示板。
エレフセリオス・ヴェニゼロス国際空港付近。タクシーは全て黄色だそうです。
Classical Baby Grand Hotelの正面玄関。
今回宿泊したホテルです。このホテルチェーンは5つ星とのこと。アテネ市街地の中心部、Kotzia
Square(コジア広場)に位置し、アテネ市庁舎に隣接。
Classical Baby Grand Hotelのようす。受付が何故かミニ・クーパーです。
Classical Baby Grand Hotelのようす。
Classical Baby Grand Hotelのパンフレットより。
ご覧の通り、奇抜とも言えるモダンな室内装飾や調度が特徴です。10人のアーチストが腕をふるったそうで、部屋や場所によりデザインが異なります。
ホテル前の通り。
同じくホテル前の通りから。背後にアクロポリスが見えます。
ホテル近くにある中央市場。屋台がたくさん出ています。
同じく市場のようす。
街角のカフェ。暖かく爽やかな天候の下、気持ちよく休憩しました。
古代アゴラのヘファイトス神殿を望む。
アクロポリスの丘から古代アゴラの遺跡群が見えます。ヘファイトスの神殿はギリシアで最も保存状態が良い建物遺跡の一つだそうです。建造はパルテノン神殿と同時期。
アクロポリスの丘から見たアテネ市街地。
アクロポリスの丘からの光景。左手にニンフの丘が見えます。ここはニンフを奉った場所だったとされています。一番左の建物は1842年にドイツ人建築家ヴァン・ハンセンにより建てられた天文台。その右下の朱色の屋根の建物はアギア・マリア教会。
アクロポリスの丘近くの建物の屋根。排気塔でしょうか、その飾りが面白かったので撮影。
オリーブの木。実はなっていないようです。
パルテノン神殿の近くでひっそりと咲いていた花。花の種類は残念ながらわかりません・・・。
アクロポリスのヘロド・アティクス音楽堂(Herod Atticus Odeon)。
161年建造。建設したのは当時の大富豪ヘロド・アティクスで、父の遺産を公共建築物の建設費用にあてました。この音楽堂はその一つで、亡くなった妻の思い出として建設し、アテネ市に寄贈したものだそうです。収容観客数は約5000人でローマ様式。現在もアテネ・フェスティバルのメイン会場としてギリシア古典劇やクラシックコンサートなどが催されています。
なおアクロポリスにはギリシア最古のディオニソス劇場遺跡(紀元前6〜5世紀建造、紀元前4世紀頃に石造で再建、ローマ皇帝ネロ時代に大改築。収容客数は約17000人)もあります。
アクロポリスのパルテノン神殿。
アクロポリスの丘は標高約150メートル。アクロ=高いところ、ポリス=都市という名に相応しいアテネのシンボルです。アクロポリスをはじめとする多くの遺跡があります。
この場所に最初の神殿が建てられたのは紀元前12世紀頃で、以後紀元前7世紀頃まで要塞となっていました。しかし紀元前480年、侵攻してきたペルシア人により完全に破壊されてしまいました。アテネの将軍ペリクレスにより紀元前447年から再建され、その後のアテネ黄金時代を象徴する聖なる丘となりました。
修復作業が進むパルテノン神殿。黄金時代後のアテネはローマやオスマン・トルコに占領されましたが、17世紀後半のトルコ軍とヴェネツィア軍との闘いに巻き込まれアクロポリスのほとんどの建物が破壊されてしまいました。その後、廃墟になったまま放置されていましたが、19世紀になってから修復が開始されました。その作業は現在も続けられています。
パルテノン神殿の屋根部分。戦乱による破壊の爪あとが残っています。
修復工事中のパルテノン神殿の前で。
暖かい天候で薄手のシャツでも快適でした。
パルテノン神殿に設置されたプレート。案内してくれた人に意味を確認し忘れましたが、修復工事を記念するもののようです。
パルテノン神殿の屋根。装飾と彩色がなされていたように見えます。
余談ですが、現在私たちが見る古代遺跡の大部分は長年の風化や破壊などで建造時の色彩が失われているそうです。建造時には色彩豊かだったものが多いとか。
パルテノン神殿の修復工事を説明した看板。
日本でよく見かける木造建築物の修復とは異なった苦労があるのでしょうか。
遺跡修復に興味がある人にとっては興味深い光景でしょうが、それ以外の観光客にとっては遺跡というよりは工事現場を歩かされている感じもあるのでは。一日も早く修復が完了することを望みます。日本も修復作業に協力していると良いのですが・・・。
パルテノン神殿。この一角はまさしく修復工事中です。
アクロポリスのエレクティオン神殿。
パルテノン神殿の北側に位置しアクロポリスの中でも最も神聖な場所だそうです。紀元前406年に完成。神殿の前に花が咲いていました。
なおこの神殿付近にはアテナ古神殿の礎石群が残っています。アテナ古神殿は、紀元前6世紀頃に建設されましたが、紀元前5世紀前半にペルシア人によって破壊されてしまいました。
エレクティオン神殿の全体像。
手前の礎石群がアテナ古神殿跡だそうです。右奥にはリカヴィトスの丘(標高277メートル、アテネの最高峰)が見えます。
アクロポリスから見たアテネ市街地。
1941年4月27日、アテネを占領したドイツ軍は、アクロポリスの丘に掲げられていたギリシャ国旗を降ろすように命じました。命令されたギリシャ兵はやむなくギリシャ国旗を降ろしましたが、その直後に国旗を身にまといアクロポリスの丘から投身自殺してしまったそうです。その後、5月30日深夜に一人のギリシア人青年が、アクロポリスの丘に掲げられていたハーゲンクロイツの旗を引き釣り降ろしたそうです。・・・このような史実があったことは知りませんでした。
アクロポリスから見たリカヴィトスの丘。
麓から見たアクロポリス。
麓から見たアクロポリス。
市街地から見たアクロポリス。
国会議事堂。
ネオ・クラシック様式の建造物で、1842年にギリシア国王オットー1世の王宮として建設されました。1933年に改築されて国会議事堂となりました。設計はバイエルンの宮廷建築家ガルトナー。国会議事堂には見えないパステル調の美しい外観が印象深い建物です。
国会議事堂下の無名戦士の碑前の衛兵。
無名戦士の碑は国会議事堂正面下の壁面に彫られています。400年前の対トルコ独立戦争をはじめ、1821年以降に発生した戦争で戦死した兵士の霊を慰めるために1932年に造られたそうです。
無名戦士の碑の衛兵とともに。
衛兵はエヴゾネスと呼ばれる民族衣装を着ています。
無名戦士の碑には古代ギリシアの歴史家の言葉が刻まれています。
無名戦士の碑の衛兵は1時間毎に交代し、記念碑を守っているそうです。
交代儀式を行う無名戦士の碑の衛兵たち。
アクロポリスの丘の夜景。ライトアップされています。強烈にして不思議な光景です。