当社スタッフが所用で羽咋市近くに行った帰路、少し時間があったので「コスモアイル羽咋」を見学してきました。本物の宇宙船が数多く展示されているのは、日本国内では恐らく唯一の施設です。※館内の写真撮影は自由です。(受付の方に確認)
※撮影はコンパクトカメラで行いました。その際、撮影者の自主的判断で、高感度・手持ちで行い、フラッシュならびに三脚の類は一切使用していません。動作音も消音モードにしてあります。
宇宙科学博物館コスモアイル羽咋。
(SPACE & SCIENNCE MUSIUM "COSMO ISLE HAKUI")
石川県羽咋(はくい)市にある"宇宙科学博物館"です。1996年7月にオープン。
本物の宇宙カプセルや探査船をはじめ、宇宙開発に実際に使用された実物を中心に多数展示しています。実物の宇宙船の迫力と魅力を間近で見学できます。わかりやすい説明パネルや映像なども工夫が凝らされており、宇宙開発の歴史を楽しく学ぶことができます。また、宇宙科学と並ぶもう一つのテーマであるUFOについても各種資料があり、UFOに興味がある人も楽しめる場所です。
"コスモアイル"は"宇宙の出島"という意味だそうです。
鎖国していた江戸時代で海外に唯一開港していたのが長崎・出島。一方、未確認飛行物体UFOを西欧からやってきた「黒船」に喩え、UFOを調査研究している欧米の科学者の成果や情報や文書を紹介し、オープンに討議し、今後の対応策を探る国内唯一の公的施設とのこと。
UFOが実在するとして、それが人類にとって"夢とロマン"なのか、それとも「黒船」のような存在となるのでしょうか・・・。日本をはじめアジア・アフリカの近代史は決して薔薇色の「発展史観」的なものではなかったわけですから。
コスモシアター。
総観覧者数100万人を突破した「銀河鉄道の夜」の制作スタッフが作成した新作番組「スターリー・テイルズ」が上映中でした。
これは、星座を巡る古代神話を幻想的なアニメ映像にしてプラネタリウムのドーム全体に上映するものです。上映時間は30分ぐらいですが、結構楽しめました。人類史を思い、少し考えさせられたと言うべきでしょうか・・・。
石川県の小さな町に本物の宇宙船を持ってきた男。
コスモアイル羽咋の実現に尽力した羽咋市役所職員・高野誠鮮氏(1955-、たかの・じょうせん。科学ライター、日蓮宗僧侶。スーパー公務員として有名)のインタビューが掲載されたリーフレット。コスモアイル羽咋誕生に関する話や高野氏の思いなど、とても興味深い話が載っています。館内のUFOデータベースのコーナーなどで配布されています。
建物前の案内版。1Fに、羽咋市立図書館、ユーフォニーホール(大ホール)、ロトンダ(小ホール)、研修室(会議室)、和室・茶室。2Fに、宇宙科学展示室(SPACE & UFO SCIENCE CENTER)、UFOライブラリー、3Fにコスモシアターがあります。
ホールはコンサートやイベント時以外は公開されていませんが、900人収容の多目的大ホールにはグランドピアノ・ベーゼンドルファー290インペリアルがあり、音響装置完備、楽屋も併設されており、本格的なコンサートもできるそうです。
コスモアイル羽咋の建物全景。「UFOのまち羽咋市」=羽咋市は"UFO神話のまち"として知られれいます。それは、昔から伝わる「そうはちぼん伝説」が実はUFOのことではないかという説があるからです。この伝説に登場する「そうはちぼん」は仏教で使われる楽器のシンバル状の仏具であるという解釈も可能で、それが羽咋市北方の眉丈山(びじょうざん。標高188mの丘陵)の中腹を飛ぶというもの。他にも眉丈山に「ナベが空から降ってきて人をさらう」という神隠し伝説や、羽咋市内の寺に伝わる古い巻物に飛行物体が登場するという話もあるそうです。このようなことから、「UFOのまち羽咋市」と命名したとのこと。羽咋市ではUFOを地域活性化の目玉として、市を挙げて努力しています。UFOをイメージした看板を市内の方々で見かけますし、市内のほとんどの飲食店でUFOメニューを出しているようです。
マーキュリー・レッドストーン・ロケット(MARCURY REDSTONE ROCHET)。
アメリカのマーキュリー計画で、2回の有人弾道飛行打ち上げに使われたロケットです。全長26.6m、先端にマーキュリー宇宙船が取り付けられています。1961年、第1回打ち上げでAlan Bartlett Shepard(1923-1998、アラン・バートレット・シェパート)飛行士が15分間、第2回はVirgil Ivan "Gus" Grissom(1926-1967、ヴァージル・アイヴァン・"ガス"・グリソム。後にアポロ1号の船長に選抜されましたが、訓練中の火災事故で亡くなり、アメリカの宇宙計画で最初の犠牲者の一人となりました)飛行士が15分37秒間の飛行に成功しました。
建物横に野外展示され威容を誇るこの展示機は、実際に飛行したロケット胴体を使用し、外部塗料も当時使用されたものをそのまま使っているそうです。
ニュートンのリンゴの木。
鹿島路町の松生広平氏が1996年に寄贈したもの。建物入口付近、野外展示されているロケットの傍にあります。
リンゴの木から実が落ちるのを見て、ニュートンが万有引力の法則を発見したという故事があります。その木が接ぎ木で増やされ、1964年に日本へも苗が贈られたそうです。現在では日本各地で苗木が植えられ、この木もその1本のようです。
入口の看板。
高野誠鮮氏のインタビュー記事リーフレットによれば、本物を展示するという"博物館の原点"に帰り、人々に感動が生まれる施設。これが高野氏の強い思いだそうです。
計画当初、展示設計会社に相談しましたが、本物の宇宙船をもってくるノウハウがなく、ロケットの模型製作費だけで予算が消えてしまうことがわかりました。それで、展示設計会社には一切任せず、独自にアメリカやロシアと交渉し安価で購入したり、本物を実際に作っているアメリカの業者に同じ設計と素材で模型を作ってもらったそうです。関係者を熱心に説得し、贈与や無償貸与も実現できたものもあるとか。
アポロ・ルナローバー月面車(APOLLO LUNAR ROVER)。
入口の受付横にあります。座席に座って記念撮影するこをができます。
1971年、アポロ15号〜17号で月面車を使用しました。
展示されているものは、地球上で動かせるように、月面走行用の金属メッシュタイヤの代わりにゴムタイヤを装着しています。
"非常事態宣言"???。
コスモアイル羽咋のポスターです。
建物内。
右手にアポロ・ルナローバー月面車の後部が見えます。画像中央の階段を上ると2Fの宇宙科学展示室。なお左手にエレベータがあります。エレベータの中には照明の仕掛けがあり、短い時間ですが楽しむことができます。
宇宙科学展示室(HABITABLE ZONE)。
展示室の入口。建物の2Fにあります。なお、入場チケットは建物入口の受付で購入できます。
HABITABLE ZONE(ハビタブルゾーン)とは、"生命生存可能地域"のことで地球のような惑星が該当します。地球に住む生命体が宇宙では孤独な存在なのかどうかという謎に迫るという意味で、展示室をこのように名付けたようです。
展示フロアの案内板。
中央に案内図があり、左右に宇宙科学開発で貢献した偉人達の紹介パネルがあります。
マーキュリー宇宙船カプセル(MARCURY)。
本物と同じ素材を使用して、内部も含めオリジナルに忠実に再現したものです。Walter Marty "Wally" Schirra Jr飛行士(1923-2007、ウォルター・マーティ・ウォリー・シラー・ジュニア)と思われる人形が乗っています。彼はマーキュリー・アトラス8号(1962年)に乗り約9時間をかけて地球を6周しました。なお、彼が乗った機体はアメリカの"Astronaut Hall of Fame"(宇宙飛行士殿堂)で展示されているそうです。
同じく、マーキュリー宇宙船カプセル。
宇宙飛行で旧ソ連に遅れをとったアメリカは、1958年にNASA(アメリカ航空宇宙局)を設立し、国家の威信をかけてプロジェクトを進めました。その皮切りがマーキュリー計画(1959-1963)です。110人の候補者の中から7人の宇宙飛行士(マーキュリー・セブン"Mercury
Seven"と呼ばれた)が選抜され計6回の宇宙飛行が行なわれました。1961年にAlan Bartlett Shepard(1923-1998、アラン・バートレット・シェパート)飛行士がマーキュリー・レッドストーン3号で15分間の弾道飛行に成功。1962年にはJohn Herschel Glenn(1921-、ジョン・ハーシェル・グレン。1998年にはスペースシャトル・ディスカバリー号で再び宇宙に行き、9日間滞在。その時の年齢77歳は宇宙飛行の最年長記録)飛行士がマーキュリー・アトラス6号で最初の軌道飛行に成功し、4時間55分で地球を3周しました。
同じく、マーキュリー宇宙船カプセル。
同船を紹介する動画。展示されている機体の横には、美しい説明パネルとともに、小さなディスプレイが置かれています。これは、来館者がボタンを押すと数分程度の簡単な音声付き動画が映されるもので、とてもわかりやすく展示物を理解することができます。音声は日本語と英語のどちらかを選択できます。また、主要な展示物には、それぞれの詳しい解説が記されたリーフレットも置いてあります。
本物の展示物と映像などを活用したわかりやすい解説。このような展示方法は、日本の場合、首都圏の大きな博物館などでは見かけますが、地方ではまだ少ないような気がします。
ヴォストーク帰還用宇宙カプセル(VOSTOK)。
ヴォストークは人類初の有人宇宙飛行に成功した旧ソ連の宇宙船です。
展示機は、実際に宇宙から帰還したヴォストーク型カプセルの一つで、本物です。
宇宙からの帰還用に機械船から切り離される一人乗りのカプセルです。大気圏への再突入の際の摩擦熱で表面が2000℃近くまで上昇したため焼け焦げています。摩擦である程度まで減速後、飛行士はカプセルから射出されパラシュートを開いて着地します。
同じく、ヴォストーク帰還用宇宙カプセル。
1957年、旧ソ連は人類初の人工衛星スプートニク1号(SPUTNIK-1)の打ち上げに成功しました。宇宙開発競争に遅れをとったアメリカは、ソ連を追い抜こうと有人宇宙飛行計画であるマーキュリー計画を推進しました。しかし、1961年、旧ソ連はアメリカより約1ヶ月早く有人宇宙船・ヴォストーク1号(VOSTOK-1)の打ち上げに成功。搭乗したのはYuri Alekseyevich Gagarin少佐(1934-1968、ユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリン)。地球を1周し、無事帰還しました。
同じく、ヴォストーク帰還用宇宙カプセル。
内部に宇宙飛行士の人形が座っています。このような小さな球形カプセルに乗って、宇宙から地球に摩擦熱で火の玉に包まれながら突入するわけですから、宇宙飛行士が頭脳だけでなく体力的にも極めて高い能力が必要な仕事だということが実感できます。
宇宙科学展示室の内部。
壁面や展示されている宇宙船の周囲にも、多数の貴重な資料が展示されています。いずれも本物ばかりです。
NASAルナ/マーズローバー(LUNA / MARS ROVER)。
展示されているのは実験用のプロトタイプ(試作品)の一つで、貴重な実験用0号機。実用段階に至るまで何度も地球上で実験された実物。NASAより羽咋市に貸与されているそうです。
月面や火星上での移動や資材運搬用にNASAで設計・試作されたもので、遠隔操作による無人走行が可能です。
モルニア1号通信衛星(MOLNIYA-1)。
展示機は実物のバックアップ機で、故障時などの予備として作られた本物。
旧ソ連の通信衛星。モルニヤ軌道という特有の軌道の通信衛星で、1964年の最初の打ち上げでは失敗、2度目は打ち上げは成功したものの通信実験に失敗。1965年、3度目の打ち上げで成功しました。以降、ロシア連邦に引き続き使われています。モルニア衛星は150機以上にのぼるそうです。日本語ではモルニヤとも表記されます。
アポロ指令船(APOLLO COMMAND MODULE)。
これも非常に有名なアポロ宇宙船・指令船です。展示機は忠実に再現したもので、銀色のシールは本物です。アポロ17号の指令船をモデルにしたもので、可能な限り実物と同一の部品や素材を用いて再現してあります。
同じく、アポロ指令船(APOLLO COMMAND MODULE)。
地上では3人の宇宙飛行士が上向きに座り、打ち上げでは強烈なGと震動、地上への帰還時もその姿勢で今度は後ろ向きに大気圏に突入する形だそうです。摩擦などで減速後、パラシュートで海に着水します。
アポロ13号シート(APOLLO 13 HEAT SHIELD)。
事故を起こしたアポロ13号で使用していたシートの実物を一部カットしたものです。
数が多すぎてホームページで全てを紹介できませんが、他にもこのような小さな実物がたくさん展示されています。
オメガ・スピードマスタープロフェッショナルの巨大模型。
この腕時計は、NASAによる過酷なテストに合格し、1965年に有人宇宙飛行に適していると公式に認証されたことで有名です。アポロ計画でも使用され、1969年には初の月面着陸に携行されました。現在も唯一のNASA公認腕時計として宇宙開発で使用され、他にも過酷な環境下で活動する世界中のプロに愛用されています。
これは、この時計の巨大模型です。本物も展示されています。
アポロ17号の乗員達の紹介パネル。
アポロ計画最後の飛行となったアポロ17号の乗員達が紹介されています。彼らの写真とともに、Eugene(Gene) Andrew Cernan(1934-、ユージン(ジーン)・アンドリュー・サーナン)船長からコスモアイルを訪問する少年・少女達に寄せられた手紙が紹介されています。
Eugene(Gene) Andrew Cernan氏は、1966年にジェミニ9-A号の副操縦士、1969年にアポロ10号の月着陸船の操縦士、1972年にアポロ17号の船長となり、合計3回の宇宙飛行を経験しました。彼は2回も月に行き、月面を歩いた人類12人の一人です。1976年に海軍大佐で退任、NASAからも退きました。
ガガーリン宇宙飛行士記念メダル
(ALEKSEYEVICH GAGARIN MEMORIAL MEDAL)。
旧ソ連のガガーリン宇宙飛行士の人類初の宇宙飛行を記念して製作されたメダルです。ロシア宇宙局からコスモアイルに寄贈されたもの。
RL-10 ENGINE。
RL-10エンジン。このエンジンはアメリカの宇宙開発史にとり非常に重要なものです。上段ロケットに使用される水素型エンジンとして最も信頼性の高いエンジンの一つで、1959年に開発されました。1963年に飛行に成功した後、一度も失敗せず174機が宇宙飛行に使われ、現在でも使用されるそうです。
SETI(セティ)のブース。
ブースの中にはディスプレイがあり、数分間の映像でSETIの活動内容が紹介されています。
SETI(セティ)の説明パネル。
"SETI"は、Search for Extra-Terrestrial Intelligence(地球外知的生命体探査)の略称。「人類は孤独なのか?」この疑問について調査研究を行なうのがSETI(セティ)という学問分野です。1959年にフィリップ・モリソン博士とジュゼッペ・ココーニ博士がイギリスの科学雑誌ネイチャーで発表した、地球外知的生命体との交信可能性に関する共同論文がきっかけです。1960年に、史上初の地球外からの電波信号探査計画である「オズマ計画」が開始されました。1972年に「宇宙人へのメッセージ」が搭載された初の宇宙探査機パイオニア10号、翌年には同11号が打ち上げられ、1977年に宇宙探査機ボイジャー1号と2号が打ち上げられました。
ボイジャー惑星探査船(VOYAGER) 。
アメリカのボイジャー惑星探査船です。展示機は実際に使用されたものと同じ部品を一部で使い、実物に忠実に再現したもの。
展示されている「ボイジャーゴールデンレコード」はアメリカの設計者が保管していた原盤だそうです。設計者より直接寄贈されたもので、極めて貴重なもの。
1977年、ボイジャー1号と2号が打ち上げられました。この探査船を発見した知的生命体向けに、太陽系と地球の位置が刻まれ、裏に55種類の言語の挨拶音声や画像データなどが収録された銅板製レコード「ボイジャーゴールデンレコード」が搭載されています。ちなみに、日本語は「こんにちは。お元気ですか?」と収録されているそうです。
ボイジャーの航海(VOYAGER'S COURSE THROUGH SPACE)。
同船の航路を示したパネルです。現在も2機とも飛行を続けています。両機に搭載されている原子力電池が使えなくなるまで観測を続ける予定です(1号は2020年以降、2号は2030年以降を稼動停止時期として想定)。
アポロ月面着陸船(APOLLO LUNAR MODULE)。
実物大模型です。実物に忠実に再現されたもので、外壁に貼られた輝くシートは実物と同じ素材を使用しているそうです。梯子の下には当時のニクソン大統領やアポロ11号の搭乗員3人の署名が記載されたプレートが取り付けられているとか。また、周囲に展示されている各種観測機器をつなぐケーブル類は、アポロ計画で予備材料として保管されていた実物です。
同じく、アポロ月面着陸船(APOLLO LUNAR MODULE)。
アポロ月着陸船は2名の宇宙飛行士が月上空で乗り移り月面に着陸、月面活動後に月面から離陸するようアポロ計画で開発された宇宙船です。実際に月面に着陸したのは6機。全長約8mで、写真や画像などでイメージしていたよりも大きく見えます。
アポロ月面宇宙服。
(APOLLO SPACESUIT FOR ACTIVITIES ON THE MOON)
アポロ計画で月面で使用された宇宙服のレプリカ。本物と同じ素材を使って再現されています。
これ以前の宇宙服との決定的な違いは、PLSS(携帯型生命維持システム)にあるそうです。宇宙飛行士が宇宙船から独立して行動するために、背中に生命維持システムを装着するもの。地球上での重量は80もありますが、重力が地球の6分の1の月面上では14となるため月面上での様々な活動が可能となりました。ヘルメットのバイザー部分には、有害な太陽光線を防ぐため純金が蒸着されています。腕時計オメガを腕に装着しているそうです。
同じく、アポロ月面宇宙服。
宇宙服を四方から見ることができます。背後に説明パネルがあります。
月の土(LUNAR SOIL)。
月面の土です。含水鉱物が全く含まれていないため、月面には最初から地球上の海のようなものは存在しなかったと考えられています。
アポロ・ソユーズ ドッキング記念メダル
(APOLLO-SOYUZ DOCKING MEMORIAL MEDAL)。
アポロとソユーズ宇宙船のドッキングという歴史的成功を記念してNASAが製作した記念メダルです。この計画に関わった米ソの宇宙飛行士全員がサインをしています。
ルナ24号月面着陸船(LUNAR-24)。展示機はルナ24号のバックアップ機、実物です。旧ソ連時代には機密扱いで詳細がわかっていなかったため、コスモアイル羽咋で本物が一般公開されたのは国内外の宇宙関係者にとって大きなニュースだっやそうです。現時点で完全な姿で残っているのは、この展示機だけだと言われており、極めて貴重なものです。
旧ソ連の月面探査「ルナ計画」で、1976年に同計画最後のルナ24号が打ち上げられました。無人で月面に着陸し、地球からの遠隔操縦でドリルで月面から土を採取、最終的に上部の球形カプセルだけを発射し地球上に持ち帰るという計画。何回か失敗しながらも、8回は月探査に成功。計画最後となったルナ24号では、月面の土標本を地球へ送ることに成功しました。
アポロのフライトガーメントとスペースシャトルのインナースーツが展示されています。
バイキング火星着陸船(VIKING)。
NASAのバイキング計画は、火星に無人の探査船を着陸させて生物の有無などを調査するものです。1975年にバイキング1号が打ち上げられ、1976年に火星への着陸に成功。基本的には1号と同一構造のバイキング2号も1975年に打ち上げられ、1976年に1号の後に着陸しました。両機とも、設計寿命を大幅に超えて探査活動を続けました。
展示機は、実物を忠実に再現したもの。多くの部分や部品が実験で使用されたものを使い、シリアルナンバーやシールも実際の製作会社のものをそのまま使用しているそうです
U.F.O.ミニシアター。
ボックスの中の机にディスプレイがあり、UFOについての研究成果などを解説した映像を見ることができます。UFO探査に関わる16人の科学者が制作した映像だそうです。
U.F.O.(ユー・エフ・オー)もしくはUFO(ユーフォー)とは、Unidentified Flying
Object(未確認飛行物体)の略称です。昔、大流行?したテレビ番組などの影響でしょうか、日本人のほとんどがUFOを知っているでしょう。映像では懐疑的な研究結果も含めた科学者達が登場します。テレビ特番とは違った本格的な情報を知ることができると思いました
異星人?の死体の実物?大模型。
結構リアルです。もちろん、真偽のほどはわかりません。ですから、「本物」そっくりという意味ではなく、何かの死体のように生々しく作られているという意味でリアル。異星人とされる謎の生物および生物の死体の写真が海外でいくつかあるそうです。中には1995年にテレビ放映された、異星人の解剖を撮影した有名なフィルムもあるとか。一般的には真偽は不明とされ、映っているのが本物の生物なのか、それが異星人なのかも全くわかりません。この模型はその時の解剖死体を再現したもののようです。
展示室の休憩スペース。
来館者の休憩用椅子の背後に、全世界のU.F.O.写真が展示されています。
UFOデータベースのコーナー。
UFOに関する資料や、世界で撮影されたUFO画像を自由に閲覧できます。宇宙科学展示室の出口付近に設けられています。
H-型ロケット第2段エンジン(LE-5A)。
日本の液体燃料ロケットH-型の第2段に使用されたエンジンです。1994年に1号機が種子島から発射され、以後は純国産ロケットとして使用されました。
展示機は燃焼室部分とジンバル部分(飛行中に油圧でエンジンの噴射方向を微調整する装置)の実物です。
展示室内のパネル。
これは展示品ではなく、画像奥のスタッフ通用口が立入り禁止であることを示すために置かれているもののようです。展示室内だけでなく、建物内のあちこちにこのような遊びがあって、UFO好きの人は嬉しくなるかも知れません。
建物内のエレベータ。
受付の係員の人から薦められて乗ってみました。乗って上昇下降ボタンを押すとエレベータ内の照明が消えて、プラネタリウムのようなイメージで夜空の星が自動的に映される仕掛けになっています。1Fから3Fまでのあっという間の短い時間ですが。
コスモシアター。
建物3Fにあります。プラネタリウム型の映画館です。星座にまつわる物語や、宇宙開発をテーマにしたアニメをドーム型の天井スクリーンいっぱいに映写します。コスモシアター入場券は、展示室入場券と別に買う必要があります。建物入口で扱っています。※上映終了後、観客の皆さんがいなくなった直後に撮影。
2Fの周回通路。
宇宙開発関係の記事や、スケジュール、宇宙から撮影した石川県の写真などが掲示されています。
同じく、2Fの周回通路。
人気撮影スポット。"未知の惑星に降りたった"ような記念写真を撮影できるそうです。
UFOライブラリー。
コスモアイル羽咋の名誉館長である矢追純一氏(1935-、やおい・じゅんいち。テレビディレクター、タレント、超常現象関係の作家)がプロデュース(制作総指揮)したグッズ(企画商品、小物)や模型・フィギュア(人形)などが展示され、UFOならびにに宇宙開発関連の書籍や情報資料がある小図書館です。
残念ながら一般来館者は入室できませんが、2F周回通路側がガラス張りとなっており外から見学できます。グッズ類や書籍など、UFOや宇宙開発に深い興味がある人ならば、もし市販されていれば後先考えず買いたくなるようなものばかりかも知れません。
■矢追純一オフィシャルサイト
同じく、UFOライブラリー。トム・ハンクス氏の衣装ケース。
映画"Apollo 13"(1995年公開。邦題:アポロサーティーン。アポロ13号事故の実話に基づく作品)で主演(James Arthur Lovell(1928-、ジェームズ・アーサー・ラヴェル・ジュニア)船長役)を務めたThomas Jeffrey "Tom" Hanks氏(1956-、トーマス・ジェフリー・トム・ハンクス。アメリカの名俳優・映画監督)が、撮影時に自分用の宇宙服を実際に保管していた衣装箱です。
同じく、UFOライブラリー。スペースシャトル「コロンビア号」耐熱タイルの破片。
コスモアイル羽咋の名誉館長である矢追純一氏の"お宝"。「開運!なんでも鑑定団」に矢追純一氏がゲスト出演した時に400万円という鑑定額がついたそうです。
スペースシャトル「コロンビア号」が1982年に初宇宙飛行に成功した時に使われていた耐熱タイルの一部。コスモアイル羽咋の元職員氏がNASA高官から個人的に譲られて保管していたもので、矢追純一氏の名誉館長就任の際に贈られたもの。
同じく、UFOライブラリー。UFOをイメージしたグッズなど。
仏教の仏具「そうはちぼん」が展示されています。円盤型のUFOに確かに似ています。「そうはちぼん伝説」は次のような話だそうです。"秋の日没後、西山(眉丈山-びじょうざん)の中腹を東から西に移動する怪火を「そうはちぼん」または「ちゆうはちぼん」と云い、新緑の季節の夕暮れに眉丈山の中腹から一の宮方向に向かう一連の火の玉も「そうはちぼん」と云われたとか。何千年もの昔、一の宮の権現様が邑知潟(おうちがた)を干拓して田んぼにするため、正八坊(そうはちぼん)という坊様が持っていた「潮干る珠(しおひるたま)」が必要だと考えました。それで策略を用いて「潮干る珠」を取りました。どうしても取り返せなかった正八坊は狂って死んでしまい、その亡霊が火の玉となって眉丈山の中腹をさまよい歩くようになりました・・・。"
お知らせコーナー。
1Fの入口付近にあります。コスモアイル羽咋の大ホールなどで行なわれコンサートや各種イベントの告知や、羽咋市内の観光情報、市内の飲食店がとりくむ"UFOメニュー"のポスターなどが掲示されています。
1Fの来館者用トイレ。
建物内の各種掲示の多くは宇宙人をイメージした図柄が使われています。
ちなみに、このような宇宙人のシールなどは建物入口の売店で購入できます。
羽咋市立図書館。
建物1Fにあります。内部は各種書籍や映像資料がある一般的な図書館ですが、郷土の資料や市内の各種情報チラシもたくさんあります。
服部コレクション。
建物1Fの一角に「服部コレクション」として、歴史的な音響装置や磁器、絵画などが展示されています。金丸出町出身の服部敏治氏(はっとり・としはる)が、芸術文化の向上と市民生活の豊かな創造の一助にしたいと、2005年に羽咋市に寄贈したものです。
千里浜なぎさドライブウエイ。
知り合いの是非見たいというリクエストで立ち寄りました。
「なぎさドライブウエイ」の北端にある記念碑。1988年5月に羽咋ロータリークラブ創立15周年記念で建立されたものです。書は当時の羽咋市長・本吉二六氏(1915-2003、もとよし・にろく)によるもの。
同じく、「千里浜なぎさドライブウエイ」。
あいにくの曇りがちの天候で、満潮なのか砂浜が狭いようです。天候が良ければ、素晴らしい雄大な景色を楽しむことができます。
同じく、「千里浜なぎさドライブウエイ」。
ここがドライブウェイ北側の終点。この先は、奇岩で有名な景勝地などがあり、奥能登へ続きます。
同じく、「千里浜なぎさドライブウエイ」。
大型観光バスも走行できます。
同じく、「千里浜なぎさドライブウエイ」。
「千里浜なぎさドライブウエイ」は、日本で唯一、一般の普通車や二輪車でも砂浜を走ることができる砂浜です。ドライブウェイは全長約8で、遠浅の海水浴場が並行して続いています。
なお、海水に浸からないに気をつけてください。走行した際は、帰宅後にでも車(特に車体下を)洗車することもお薦め。もちろん、あくまでも自己責任で。また、海水浴客が多い夏の季節は特に歩行者に気をつけてください。逆に海水浴客は、走行する車に十分気をつけてください。
千里浜レストハウス。
「千里浜なぎさドライブウエイ」の出口付近にある観光客向けの土産店・レストランです。昔からある、地元の人には馴染み深い観光施設です。
「千里浜砂像2013」のポスター。
「千里浜レストハウス」に貼られているポスター。2013年は4月27日かた10月31日まで、千里浜海岸の「千里浜レストハウス」横で開催されています。各種の砂像が展示されています。見学は無料。期間中には砂像作り体験イベントも行なわれるそうです。
千里浜レストハウス入口に飾られている砂像。
砂像に何故かお賽銭を置く人が多いようです。後でお賽銭を回収するのが大変では?
ご利益のほうも、"砂上の楼閣"の言葉があるように何となく不安になるのは私だけ?
もちろん、そのあたりの感じ方は人それぞれでしょうが。
「千里浜砂像2013」の一角。
この像は製作中のようです。
同じく、「千里浜砂像2013」の一角。
"コアラを探せ!キャンペーン"が行なわれていました。あの有名なお菓子の関連らしいです。
ちなみに、一昔前のことになりますが、このお菓子は、海外から日本を訪れた方の母国への土産としてとても人気があったそうです。子供が喜ぶような手のこんだデザインで、しかも美味しくて安いチョコ菓子は日本にしかないとかで、外国の方が大量購入している光景を結構見かけたものです。コアラは日本にはいない動物なわけで、不思議な現象だと感じましたが。
さらに、ちなみに、このお菓子は海外での日本文化人気(アニメなどサブカルチャー)のせいか、海外の若者達に今も人気だそうです。