クラシック音楽に興味がない人でも知っている超有名ラベルの弦楽器。
その楽器は、ある有名な演奏家によって素晴らしい響きを奏でていた。
その後、事情があってその楽器は別の演奏家に譲られた。
その演奏家もそこそこの腕があり、名器を手にすることでさらに活躍することが期待されていた。
しかし結果は芳しくないものだった。
名器お披露目の演奏会で楽器は全く響かず、その楽器の本来の"響き"を知っていた聴衆にとっては、それが同じ楽器だとは信じられないような音だったのである。
その楽器の個性に応じた弾き方がある。さらに言えば、その楽器の個性やコンデションをその場で見抜き、楽器に応じた演奏をできるのが本当に優れた演奏家であるのかも知れない。
その意味で、楽器と演奏家との関係は馬と騎手とのそれに似ているとも言える。よき騎手を得て初めて馬は最高の能力を発揮する。
楽器も同じなのだ。
逆のことも言える。
楽器を始めたばかりの子供達のレッスンに同席させていただく機会がちょくちょくあるのだが、調整が良くなくて"響かない"楽器をあてがわれているのに、先生から「もっと音を出せ」と叱られているケースを結構見る。
子供達の耳は大人が思う以上に素直である。
新しい楽器を選ぶ時、私は親御さんのご予算に合わせて複数の楽器を候補として必ず用意するのだが、ほとんどの場合子供は一番良い"響き"の楽器を自然に選択する。
時には親御さんの選択と合わないこともあるのだが、子供の感性の鋭さに内心舌を巻くことが多々あるのは正直なところだ。
"響かない"楽器をあてがわれてしまって、"響き"の楽しさを感得する機会のないまま音楽が「苦学」になってしまっているケースが相当あるのではないだろうか。
せっかくの才能が開花することなく、レッスンが「嫌な思い出」で終わってしまった人も少なくないと思う。
良き馬、能力に応じた適切な馬があって初めて騎手の才能が開花する。
楽器にはこれに似た側面もあるのではないだろうか。
さて、馬には日頃の調教が不可欠である。
どんなに素質が優れた馬であっても調教がよくなければ能力を発揮できない。
馬の能力を発揮させるのは騎手だけではない。
調教師のサポートも不可欠なのだ。
故障時の復帰調整でも、調教師が決定的に重要である。
怪我による癖を調整するのは専ら調教師だからだ。
同じ馬でも調教師が交代した途端に素質を開花させて素晴らしい成績を残すことがある。
楽器も同じである。
有名ブランドの名器でも調整が良くなければ本来の"響き"を出せない。
逆に子供達が使っている入門用国産器でもちゃんと調整してやれば相応に響く。
乗馬の初心者には適切に訓練された馬を提供するのが普通だろう。
楽器も同様である。
高価な楽器でなくても適切な調整をして、子供達が楽器の"響き”を楽しみ、音楽の世界に自然に入り込めるようにしていきたい。
そのように楽器の本来の"響き"に親しんだ子供達が、いつの日かプロの演奏家として活躍する。
それが私の楽器商としての密かな夢である。
良き楽器を発掘する。
良き楽器に調整する。
そして良き演奏家を育てるお手伝いをする。
そういう楽器商に私はなりたい。
この文章は2002年に私が思った事を書き綴ったものである。
14年たった今も、この気持ちは変わらない。