備考
証明書 : Paul Childs
ルイ・バザンはバザン・ファミリーの中でも、特に優れた弓を数多く製作し、その一生を弓作りだけに捧げたメーカーです。
年代によって、スタイルの変遷が見てとれます。特に第一次大戦出の兵役を終えて、弓職人に復帰してからは一族の伝統的スタイルに、自らのセンスを調和させた名弓を製作しました。
キリっとしたヘッドの形状は、彼の高い製作技術が顕著にあらわれています。
また、材料も密度の詰まった、クオリティの高いフェルナンブーコ材を使用しています。
Charles Louis Bazin(1881-1953、チャールズ・ルイ・バザン)
1881年、ミルクール生まれ。Charles Nicolas Bazin IIの三男です。(長男Gustave Bazinは弦楽器製作者、次男Emile Joseph Bazinは弓製作者になりました)
12歳の頃より、父親から弓製作を学びBazin工房で働き始めました。1907年、26歳で父親の工房を継承しました。1915年頃までに、工房移転や、多数の職人を雇っての規模拡大などを行いましたが、第一次世界大戦で召集されて製作活動の中断を余儀なくされました。
1918年に復員し、製作活動を再開しました。1921年頃には、新たに大勢の職人を雇い、さらに大量の注文に応じるようになりました。しかし、ミルクールの弦楽器産業の衰退傾向と並行して、1936年頃には工房の職人が4人にまで減ってしまいました。1951年、71歳で引退し、1953年11月に亡くなりました。
彼は父親同様、大勢の弟子を育てたことで高く評価されています。しかし、彼自身の作品は父親ほどの評価はうけていないようです。なお、彼には息子が二人いましたが、長男Rene Bazinは弦楽器製作者、次男Charles Alfred BazinはBazin工房で修行し弓製作者になりました。
Charles Nicolas Bazin II(1847-1915、チャールズ・ニコラス・バザン2世)
ミルクール生まれ。父親は弓製作者Francois Xavier Bazin。少年時代に父親の工房に入り働き始めました。1865年頃、父親が亡くなったため、父の友人だったClaude Charles Nicolas Husson(1823-1872)の支援を受けながら、若くして工房を引き継ぎました。その後もミルクールで製作活動を続け成功をおさめるとともに、Charles Louis Bazin(1881-1953 彼の三男)、 Victor Francois Fetique(ヴィクトル・フランソワ・フェティーク 1872-1933)、Louis Joseph Morizot(ルイ・ジョゼフ・モリゾー 1874-1957)など数多くの弟子を育てました。また弓ならびに楽器製作者の地位向上に努め、楽器製作学校の設立も目指しました(残念ながら彼の存命中には実現しませんでした)。人望も厚く、町議会の議員に選ばれたほどです。