備考
Anton OstrizekitⅠ(1889-1951)
1889年、チェコスロバキアのCebin生まれ。1951年にウィーンで亡くなりました。
1924年にウィーンの弦楽器製作マエストロの登録試験(Meisterprufung)に合格。1940年、高度な専門家(Sachverstandiger)として公式に認められました。彼の業績の代表的なものとしては、35本前後のストラディバリモデルとガルネリモデルを製作したとされています。
Anton OstrizekⅡ(1911-1975)
Anton OstrizekitⅠの息子。1911年にウィーンで生まれ、その地で活動、1975年に亡くなりました。
ウィーンで父親より弦楽器製作を学び、ショーンバッハ、マルクノイキルヒェン、プラハでも修行したようです。1935年にウィーンの弦楽器製作マエストロの登録試験(Meisterprufung)に合格。1940年に独立して自身の工房を構えました。代表的な仕事として、80本前後ののストラディバリモデルとガルネリモデルを製作しましたが、その他にクラッシックギターも製作しました。1945年頃よりGeorg Haid(1864-1951)と共同で製作するようになり、後にその工房を引き継いだようです。