備考
Johannes S.Finkel(1947-)
弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の四代目です。父Siegfried Finkelの下で修行した後、ロンドンのJ&A Beare、ロサンゼルスのHans Weisshaar、フィラデルフィアのWilliam Moennig & Sonの工房で修行を重ね、1975年にスイスに戻り現在に至ります。
Siegfried Finkel(1927-)
1868年より続く弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の三代目で、Paul WeidhaasとともにEwald Weidhaasの下で働き、Paul Weidhaasの養子になりました。彼もまたEwald Weidhaasの技術を引き継ぎ、Peccatteモデルのドイツバージョンとも言える優れた弓を作りました。彼の一族は1952年にMarkneukirchenからスイスのBrienzに移住し、その地で工房を構えました。
Paul Weidhaas (1894-1962)
父Ewald Weidhaasより、Markneukirchenにおいて1908年から1911年までの間、弓製作を学びました。1911年から1913年までBreslauのE.Liebichの工房で働き、1913年から1915年までHamburgのWinterlingの工房で働きました。1918年にHamburgのマイスター試験に合格。その後、Markneukirchenに戻り、父の工房の経営を引き継ぎました。1920年代と30年代、彼は自身の知識を深めるため、とても長い旅に出ました。HollandでM.Moller、Vedral、J.Stuberと一緒に働きました。パリではBauschとVictor Francois Fetique(1872-1933)の工房で学びました。この旅で得た経験は彼の仕事にはっきりとした影響を与え、外国とのビジネスを立ち上げることに役立ちました。弓の高い品質と、優れたビジネスセンスにより、彼は20世紀中盤のドイツ弓メーカーの中で最も重要な一人となりました。
Ewald Weidhaas(1869-1939)は、Markneukirchenの弓製作者です。Paul Weidhaasの父であり、Siegfried Finkelの義理の祖父、Johannes S.Finkelの義理の曾祖父にあたります。