備考
証明書 : Stepan Soultanian
LOUIS MORIZOT工房の1945年頃の作品。
しっかりとしており、濃い音が出ます。
MORIZOTとしては、お手頃な価格でご提供できます。
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Louis Joseph Morizot(1874-1957、ルイ・ジョゼフ・モリゾー)
弓製作の巨匠Eugene Nicolas Sartory(1871-1946、ユージン・サルトリ)に師事。独立後はサルトリのライバルとして活躍した、フランスを代表する弓専門の大作家です。彼の弓は、技術と品質ならびに材料で非常に優れており、現在も多くの演奏家に高く評価されています。彼には6人の息子がおり、1人は弦楽器製作者、他の5人は弓製作者になりました。5人の息子達は父の工房を引き継ぎ、兄弟で協力して大量の弓を作りました。
Louis Joseph Morizotは、1874年にフランスのDarneyで生まれました。父親は金属加工の職人で、母親は弓製作者Nicolas Maline(182-1877)の妹です。Louis MorizotはCUNIOT-HURY工房(Eugene Cuniot、1861-1910)で弓製作を学びました。1901年、Charles Nicolas Bazin II(チャールズ・ニコラス・バザン2世 1847-1915)の工房に弟子入りし、研鑽を積みました。
1914年にBAZIN工房を出て、Eugene Nicolas Sartory(1871-1946)の助手になりましたが、第一次世界大戦により制作活動を一時中止せざるを得ませんでした。大戦後、Sartoryの助手として製作活動を再開。
1919年、45歳の時に独立し、ミルクールに自分の工房を持ちました。その後、息子達が工房を手伝い始め、1925年頃には息子達と協力して大量の弓を製作し、工房の名前を世に知らしめました。1927年、職人競技大会"Artisanale"で優勝。
1933年、息子達と工房を共同経営するようになり、工房の名前を"Louis MORIZOT &fils"に変えました。
視力の衰え等により1947年に弓製作の第一線から引退し、息子達のサポート役に回りました。1957年、83歳で亡くなりました。
Louis MorizotがEugene Nicolas Sartoryから独立した後、両者が協力し合うことは一切無かったようです。その理由は、Louis Morizotがかってサルトリ工房で助手を勤めていたことを自己宣伝に使ったため、両者の年齢が近かったこともあって、サルトリが不快感をもち、対立に近い関係になってしまったためだとされています。