ストラディブログ
欧羅巴徒然紀行
March 1, 2010

フランス・ミルクール その2・ミルクール市立弦楽器製作博物館 2010.01.20

2010年1月下旬(日本時間で1月16日出国〜25日帰国)、商用でフランスのパリとミルクールを訪問してきました。北半球の大寒波、ヨーロッパも記録的な寒さと雪でしたが、私達が訪問した時は寒波のピークは終わっていて順調に旅行することができました。訪問の主目的は楽器の買付けですが、今回は日程を多目に確保し、前からとても興味があったミルクールやパリの現代作家を訪問取材してきました。なお、今回旅行の取材では、現地コーディネートならびに仏語通訳でJCOM(ジーコム)の浜さんのお世話になりました。この場を借りて厚くお礼申し上げます。

ミルクール市立弦楽器製作博物館の全景。ミルクール市立弦楽器製作博物館"Musee de la Lutherie et de l’Archeterie Francaises"はミルクール市立の弦楽器製作博物館です。1973年11月24日、市役所で除幕式が行われました。1984年までに、卓越した弦楽器製作者Jacques Bernard氏がボランティアで工具や附属品や書籍を展示品用に収集し、同僚と自身の家族から寄付金を募りました。彼は博物館の最初の展示収蔵品を整えました。1984年、博物館のコレクションは"Promotion Mirecourt Facture Instrumentale(PROMIFI)"という団体によって管理されることになりました。コレクションの収集方針は、弦楽器の工業生産上ならびに音楽技術上での歴史的な証拠となるものを対象とするというものです。1989年5月、ミルクール弦楽器製作博物館は、博物館リストに加えられ国の統制下に入りました。

弦楽器製作博物館の周辺。
周囲には楽器をイメージしたモニュメントがいくつか置かれています。1991年、Bob Orlando氏が、博物館を新築するための立案と予備調査のためにミルクール市に雇われました。ミルクール市が資金を提供し、より意欲的なコレクション購入が可能になりました。1998年に、Lothaire Mabru氏が中心となり、ミルクールの民俗音楽について貴重な文化的科学的調査が行われ、調査プロジェクトの全ての参加者により調査結果の正しさが立証されました。2002年8月、この市立弦楽器博物館は"Musee de France"(フランスの博物館)の称号を得ました。現在、Valerie Klein氏が館長ならびに主任研究員を務めています。

同じく弦楽器製作博物館の周辺。
現在(2009年時点)のコレクションは321点あり、3世紀に渡る弦楽器製造史を網羅しています。コレクションの中心を占める弦楽器は、ミルクールで活躍したか、ミルクールで修行した弦楽器・弓製作者が製作したものです。19世紀の大量生産絶頂期の製品も保管しています。これら弦楽器の生産状況に関する詳しい知識を紹介するため、当時の社会状況を示す資料、重要な技術的資料(付属品製造工程、材料、モデル、治具=所定の切削位置を案内する工具、工具、工場で生産された部品、アクセサリー、弱音器などなど)、ビジネスに関する文書資料(実用文書、ラベル、カタログ、刻印、メダル、証書などなど)が、完璧に揃った形で保管されています。

同じく弦楽器製作博物館の周辺。博物館の建物は比較的新しいようですが、周囲の建物と違和感がないデザインです。

弦楽器製作博物館近くにあるマップ。
マップには今も残るかっての工房建物など、街の弦楽器製作関連の史跡位置が記されています。効率的な順路が案内されていて、短いコース(オレンジ色)と街外周コース(空色)が記されています。

弦楽器製作博物館内部、館長のValerie Klein氏。
同館の展示室の中央部分に鎮座する、チェロの巨大模型の前にて。館長兼主任研究員のValerie Klein(ヴァレリー・クライン)氏は非常に博識な方で、私達は深い感銘をうけました。

館長Valerie Klein(ヴァレリー・クライン)氏とともに。
ご多忙にも関わらず、私達のために時間を割いて館内を案内していただきました。

チェロ巨大模型。
ご覧の通り、展示室2フロアー分の吹き抜け天井に達する大きさです。

同じく、チェロ巨大模型。
開口部が設けられて、内部を見る事ができます。

同じく、チェロ巨大模型。
内部の様子です。さすがに一枚板ではなく板材を組み合わせています。バスバー、魂柱、コーナー部などが本物同様に作られており、弦楽器の構造を強烈な印象を伴いながら理解することができます。

同じく、チェロ巨大模型。
展示室2階から見た光景。

同じく、チェロ巨大模型。
本物を忠実に巨大化していることがわかります。日本国内でこのようなものを見たことがありませんでしたので、驚きました。なお、建物の構造については確認しそびれましたが、天井部の梁を見た限りでは屋根の骨組みは木造のようです。

Jean Baptiste Vuillaume作のバイオリン。館内にはフレンチの楽器に興味がある人ならば鳥肌が立つほどの巨匠の作品や資料が数多く展示されています。Jean Baptiste Vuillaume(1798-1875、ジャン・バティスタ・ビヨーム)
1798年ミルクール生まれ。父Claude Francoisはバイオリン製作者でした。当時の例に漏れず少年時代に徒弟に入り弓をはじめとする楽器製作の修行を始めました。20歳の頃にパリに出て楽器職人としてNicolas Antoine Leteの店で雇われました。その後、頭角を現し、1823年に彼の作ったバイオリンがコンクールで入賞しました。その頃、彼は弓に注目し研究し始めたようです。ほどなくして、Jean Pierre Marie PersoitやDominique Peccattと共に働き始めました。 1827年、Leteから独立して工房を構えました。

Jean Baptiste Vuillaumeの肖像画。

彼がフランスの弓製作史において果たした役割が極めて大きいという点では異論がないところでしょう。彼自身は、弓製作者ではなくバイオリン製作者でした。しかし、彼は弓を重視し、弓の性能向上のために数々の工夫をしました。彼自身は一切製作せず、発案した物の製作は工房の優秀な職人達にさせていました。彼の工房で生み出した弓の中で特に卓越したものは「腕の延長」のようである評され、彼の研究や発案が当時いかに先進的なものであったかを示しています。

Auguste Darte(1830-1892)作の1/2チェロ。

展示室1階の光景。ミルクールの歴史、ミルクールの弦楽器・弓製造の黄金期の作品や資料、現代の作品や資料が、実物や写真パネルを使って年代別に理路整然と展示されています。

同じく、展示室1階の光景。
弦楽器製作に使用する工具類の展示コーナー。

Jean Jacques Millant愛用の工具。Jean Jacques Millant(1928-1998、ジャン・ジャック・ミラン)
1928年、パリ生まれ。1946年から1948年までの2年間、MirecourtのMORIZOT工房で修行しました。修行後にパリへ戻り1950年頃まで、父の工房で働きました。その後、パリで独立。1970年、フランス最優秀職人賞(「Un de Meilleurs Ouvriers de France」)を受賞。その後、同賞の審査員を務めました。1998年、69歳で逝去。Dominique Peccatteスクールの有力な弓製作者で、20世紀フランスを代表する名工の一人でした。従弟のBernard Millant(1929-、ベルナルド・ミラン)と同スタイルである「Millant」ラベルの弓を製作しました。フレンチ弓の優れた技術を継承し、Peccatteの名品に匹敵するものを製作しました。彼は20世紀後半で最も偉大な弓製作者として評価されています。

展示室の様子。

BAZIN一族の展示コーナー。Charles Nicolas Bazin II(1847-1915、チャールズ・ニコラス・バザン2世)やCharles Louis Bazin(1881-1953、チャールズ・ルイ・バザン)に代表される有名な弓製作一族の作品が展示されています。Charles Nicolas Bazin II(1847-1915、チャールズ・ニコラス・バザン2世)
ミルクール生まれ。父親は弓製作者Francois Xavier Bazin。少年時代に父親の工房に入り働き始めました。若くして工房を引き継ぎ成功をおさめました。Charles Louis Bazin(1881-1953)、 Victor Francois Fetique(1872-1933)、Louis Joseph Morizot(1874-1957)など数多くの弟子を育成。また弓ならびに楽器製作者の地位向上に努め、楽器製作学校の設立も目指しました。人望も厚く、町議会の議員に選ばれたほどです。

展示室の様子。
ギター類の展示コーナーです。ミルクールではバイオリン属だけでなく、ギターも製作されています。

展示室の様子。
有名なストラディバリの肖像など、各種資料が系統的に展示されています。

同じく、展示室の様子。
ミルクールで活躍、あるいはミルクールで学んだ巨匠達の肖像や資料がパネル展示されています。

Jean Joseph Honore Derazey作のバイオリン。
表板が開放された状態で展示されていて、内部の造作を見る事ができます。Jean Joseph Honore Derazey(1794-1883、ジョン・ジョセフ・オノレ・デラゼイ)
ミルクールで修行を終えた後、パリに出ていくつかの工房で働きました。1830年頃、Jean-Baptiste Vuillaume工房に入りました。その優れた技術と経験により彼は直ぐに、この偉大な人物の中心的な共同製作者となりました。
Vuillaume工房時代、他の製作者と共に働きながら、彼はGaspar da Saloのコピー楽器の大部分を作りました。
彼の息子Justin Derazey(1839-1890、ジュスタン・デラゼイ)も弦楽器製作者になりましたが、製作者よりは事業経営者として成功を納め、高品質の量産品を製造販売しました。

バイオリンのカットモデル展示。
縦にカットされた状態で展示されていて、バイオリンの構造を理解することができます。

同じく、展示室の様子。
ミルクールならびにフランスの弦楽器製作史に関する資料や情報は日本ではまだあまり紹介されていないようです。今回の訪問で初めて見た資料も数多く、興味が尽きませんでした。

同じく、展示室の様子。

同じく、展示室の様子。これまでヨーロッパ各地の弦楽器関連博物館を訪問してきましたが、その中でもミルクール弦楽器製作博物館では強い感銘をうけました。特に興味深かったのは、機械による大量生産に至った経緯の展示です。また、イタリアの巨匠と名品に対する尊敬を常に保ちつつ、一方で独自の工夫を追及しながら極めて高品質のものを製作したミルクールの巨匠達の姿に感動しました。国立弦楽器製作学校を訪問した折にも感じましたが、ミルクールがその弦楽器製作史を誇りに思い、市の産業として弦楽器製作を大事に育てていこうとする意志が私達にも伝わってきました。

ミルクールの木。
ミルクールの巨匠達の関係を大木の枝で表現したイラストです。

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