今回の買付け旅行のルートは、フランクフルト→ミュンヘン→ミッテンバルト→ガルダ湖→クレモナ→ミラノ→クレモナ→ミラノ。
買付け先としてはミッテンバルトとクレモナでしたが、今回は旅程に若干余裕があったためガルダ湖とミラノで1日ずつ観光を楽しみました。
ミュンヘン 2003/10/01
新空港傍にあるリニアモータカーのモックアップ
古きヨーロッパの伝統と、最先端の科学技術が共存。
ミュンヘン市庁舎付近
10月祭目当てに訪れた大勢の観光客で賑わっています。ビール祭りとも呼ばれる収穫祭で、2週間の開催期間中に600から700万人の観光客が訪れるそうです。
10月祭の絵葉書
ミッテンバルト 2003/10/01
ミッテンバルトは南ドイツ、オーストリアとの国境近くにある都市。街中心部の標高は約920メートル。かつてゲーテはイタリア紀行の中で最も住み良い町と書き記したそうです。バイオリン製作史における聖地と言われる都市でもあります。
ミッテンバルトの絵葉書
マティアス・クロッツ像
17世紀半ばマティアス・クロッツ(Mattias Klotz 1656-1743)によってミッテンバルトにおけるバイオリン製作の歴史が始まりました。「クロッツ通り」と名づけられた通りもあります。クロッツブランドはその後何代も続き、1800年代に最盛期を迎えました。
ミッテンバルトの教会と駅
上記立体地図の中心部(赤丸印)に位置します。
バイオリンミュージアム
国立バイオリン製作者学校
ホテル横の建物壁面のフレスコ画
ある建物内の一角
ガルダ湖 2003/10/02
北イタリアはBRESIAとVERONAの中間付近にガルダ(GARDA)湖があります。湖畔の町、SALOに行きました。
ガルダ湖 は、3つの州にまたがるイタリア最大の湖です。南北約50kmで縦長の形をしており、ドロミテ山脈が背後に迫るダイナミックな景色が有名です。気候が温暖なので、ヨーロッパ屈指のリゾート地としても知られていますが、何故か日本人が出かけることはあまりないようです。
名勝地ガルダ湖の美しさも感動的でしたが、有名なバイオリン製作者であったガスパロ・ダ・サロ(日本語にするとサロ町のガスパロという意味の通称名)縁の町としても感慨深いものがありました。
ガルダ湖の絵葉書
ミッテンバルトからガルダ湖へ向かう車窓光景。
ガルダ湖光景。
同上
街角のガスパロ・ダ・サロ画
ガスパロ・ダ・サロ(Gasparo da Salo 本名はガスパロ・ディ・ベルトロッティ 1542頃-1609)は、クレモナのアンドレア・アマティと並んで名前が残るバイオリン最初期の製作者(この2人が現在のバイオリンの原形を確立したと伝えられています)です。
ガスパロ・ダ・サロ製作の楽器の中では、「チェリーニの呪いのバイオリン」が別の意味で有名です。このバイオリンを入手した人達の多くが不幸な目に遭ったため、そう通称されるようになりました。(チェリーニは、このバイオリンに装飾を施した彫刻家の名前。現在はノルウェーの博物館で保管展示)
クレモナ 2003/10/03・10/05
今回のクレモナ訪問の目的は、楽器買付けとともに、「モンドムジカ」と「トリエンナーレ」を見学することでした。大変、充実した訪問となりました。
大聖堂(ドゥオーモ)の尖塔
大聖堂は12世紀に建設された、ロンバルディア様式の建築で、白と朱鷺色の大理石で造られた美しいファサードを持つ雄大華麗な教会です。
大聖堂(ドゥオーモ)光景。
3枚目は夜景。照明が美しいです。
パレストロ通りの突き当たりにあるカヴール広場に立つストラディバリ像クレモナを訪れる度に立ち寄ってしまいます。今回、背景の建物が改装工事中でした。
クレモナの博物館中庭にあるストラディバリ像
以前から気になっていた像です。場所が移動していたため探すのに若干手間取りましたが、念願の対面がかないました。※アントニオ・ストラディバリ:1644年クレモナ近郊生れ。1737年死去(93才)。ニコラ・アマティのもとで修行。彼が製作したバイオリンは「ストラディバリウス」と呼ばれ世界最高峰の名器をされています。現代では、アントニオ・ストラディバリの他に息子のフランチェスコとオモボーノが製作したものも「ストラディバリウス」と呼ばれています。
ストラディバリが1667年から1680年までフランチェスカ・フェラボスキ夫人と一緒に住んだ家。
クレモナの街角光景。
同上
食事をしたイタリア料理レストラン。
スワロフスキーの特注品
クレモナでしか買えないものです。
クリスタルの中にバイオリンが美しく浮かびあがります。
ミラノ 2003/10/04
ミラノの大聖堂(ドゥオーモ)
イタリア最大にして最高の後期ゴシック建築。135本もの尖塔を持つ美しい建造物が、見る者を圧倒します。聖堂部分は1386年から1577年、ファサード部分は1616年から1813年にかけての建造で、完成まで一世紀以上かかりました。
下記は、ミラノの街角光景。
ミラノ・リナーティ空港から帰途につきました。